東京と、音楽と、私たちと。小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のジャケット写真の場所について。

2020年3月2日月曜日

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この記事は小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のシングルジャケット写真に使われた場所について記載しています。


この場所は昨年2019年11月11日に発売された雑誌『AERA』11月18日号で、小沢健二さんご本人を被写体に写真撮影が行われた場所でもあります。
雑誌の表紙の写真や記事内の写真の場所がその場所です。

小沢健二さん独占インタビュー&嵐「Reborn」戦略の徹底分析をAERAが掲載!

小沢健二さんが、11月11日発売のAERA 11月18日号の表紙とインタビューに登場します。11月13日に13年ぶりの新作アルバム「So kakkoii ...

ここは東京都港区三田一丁目に位置し、かつて三田小山町と呼ばれた街です。

この街は大規模な再開発計画により、もうすぐ高層マンションと公園に変わってしまいます。

私は、小沢健二さんはこの場所を訪れる人に何かを伝えようとしていると思いました。
そして、自分なりに調べてみたことを今回まとめてみました。

この場所の置かれている現状、住宅街であること、公表することで人がたくさん来てしまった場合の住民の皆さんへの影響、訪れる人には遊び半分で来て欲しくないという個人的な想いなどが交錯し、この場所を知ってから公表するかどうか、随分と悩みました。


長い記事ではありますが、読んで頂いて、この場所の現状について知って頂けたら大変うれしく思います。


この場所の現状について、私は何をどうすればよいのか、ずっと考えてきましたが、未だに私には分かりません。
当事者ではない私たちは、何かできることはないのか。
どうすべきなのか。ただ行く末を見守るしかないのか。

私は今も悩んでいます。

しかし、その日は刻一刻と迫っています。時間がありません。


もしご意見がございましたらご教示頂ければ幸いです。


また、この場所に行かれる際は、ここは閑静な住宅地であるため、近隣住民の方々へのご配慮をお願いします。


それでは本編をどうぞ。



はじめにーアルペジオの場所についてー


『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』アルバムアートワークの場所。
2018年10月13日撮影。


2018年10月、私たちは小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のジャケットに使用された場所を見つけました。




このツイートはその時に現地で撮影した動画です。

その場所に行った時に、なつかしさと同時にある違和感を覚えました。
そしてその一角に、こう書かれた幟を発見したのです。

「小山町 街こわし再開発反対」の幟

「小山町 街こわし再開発反対 心配する会」

その場ですぐにこの地域について調べたところ、以下のサイトを見つけました。

イメージパース。画像は以下サイトより転載。




三田小山町西地区第一種市街地再開発事業
計画内容

施行者 三田小山町西地区市街地再開発組合(予定)
所在地 東京都港区三田一丁目
面積 約2.5ha

整備内容
公共施設
特別区道第1022号線(地区幹線道路1号)(幅員18m)既設(再整備)
特別区道(区画道路1号)(幅員9m)拡幅
特別区道(区画道路2号)(幅員9m)拡幅(隅切)
公園(約2,500平方メートル)新設

施設建築物
北街区
延べ面積 約108,200平方メートル
主要な用途(共同住宅、事務所、店舗)
住宅戸数 約790戸
南街区
延べ面積 約71,400平方メートル
主要な用途(共同住宅、店舗)
住宅戸数 約510戸

主な経過及び予定
都市計画決定 平成28年 6月
組合設立(事業計画)認可 令和元年度(予定)
権利変換計画認可 令和3年度(予定)
建築工事着工 令和4年度(予定)
建築工事完了 令和8年度(予定)

-東京都都市整備局「三田小山町西地区第一種市街地再開発事業(港区決定)


香川県

資料6 三田小山町西地区市街地再開発事業の概要


「三田小山町西地区第一種市街地再開発事業」。


この街は現在、再開発計画が立てられており、もうすぐ45階と33階の2棟の高層マンションと管理棟が建ち、周囲が公園になる予定になっています。


またこの地域は既に、別の再開発によって、近隣の2区域に高層ビルが立ち並んでいます。

・「三田小山町東地区」(A区) (シティタワー麻布十番 2009年5月末竣工)
・「三田小山町地区」(B区) (パークコート麻布十番 ザ タワー 2010年5月末竣工)


そのため、この辺りは三田小山町西地区の低い木造建築物の隙間から新しい高層ビルが見えるという不思議な光景になっています。



三田小山町について



上の地図は三田小山町の場所を示したもの。
黒枠の箇所が再開発区域、♪マークがアルペジオのジャケットを撮影した場所。
緑枠の箇所は東京さぬき倶楽部の敷地、オレンジ枠は三田小山町のうち2回の再開発により高層マンションやビルとなったところ。


小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のアートワークにも使用されている「三田小山町」は、都営地下鉄大江戸線・東京メトロ南北線「麻布十番」駅のすぐ近くに位置しています。

現在の住所表示で言えば「港区三田一丁目」に当たります。

渋谷川の下流、古川の流域にあり、川の南東側に位置する高台、三田丘陵が急傾斜で落ち込もうとするところにあります。

つまり町名の由来は、三田丘陵=三田小山、ということのようです。


三田小山町の歴史


三田小山町周辺は江戸時代が始まるまでには三田村という村があったようです(『港区史』「第二編 街史 第一章 市街発達の概要」pp.33 第一図:中世末の推定村区画と道路より)。

江戸時代には大和郡山藩・松平家の下屋敷などの大名屋敷がありました。


明治2年(1869年)には江戸時代に久保三田町、三田久保町、寺院門前町であった地域(三田丘陵の地域)が合併し「三田小山町」が成立しました。(『芝区史』より)

その後の明治5年(1872年)には、華族黒田長従邸(元秋月藩黒田甲斐守邸)と松平時之助邸(元大和郡山藩邸)をも併せて、その町域を拡張しました(「三田小山町児童遊園」旧町名解説板より)。

明治時代には町の北部の黒田甲斐守邸には華族の黒田邸と伊藤博文邸があったそうです。
ここは先述の2000年代に行われた2つの再開発により高層ビルが建っている場所です。

また、町の中部、元郡山藩邸には日本の製紙の黎明期を支えた三田製紙所がありました。
三田製紙所はその後元摂津尼崎藩主・子爵桜井家や農務省総務長官藤田四郎氏本邸、真珠王御木本幸吉氏別邸となります。
ここは現在『東京さぬき倶楽部』という香川県の宿泊施設がある場所です。


明治以降の街並みの変化の詳細については不明ですが、明治、大正、昭和初期、戦後間もない頃の住宅地図を見てみると、三田小山町はいつしか町工場や住宅街が立ち並ぶ地域になっていったようです。
今でも三田小山町を見回すと、町工場やその跡を見ることが出来ます。


三田小山町は関東大震災でも倒壊した建物は少なく、火災の影響も受けなかったようです。

また、東京大空襲でも爆撃や火災を逃れた地域でした。

最近まですぐ近くに駅が無く、交通の便が良くないことが幸いしたのか、バブル経済の際もこの地域は地上げにあうことはなかったそうです。

そのため、街には大正時代に建てられた銭湯や、年代を感じる木造住宅、昭和の雰囲気を残す商店街などが残っています。


しかし震災や戦災、バブル期の地上げなどを免れた三田小山町も、2000年9月にすぐ近くに麻布十番駅が出来たことで状況は一変します。
交通の便が良くなったことで土地の価値が上がり、2度の大規模な再開発計画により街はマンションや商業ビルとなり、街の様子は随分と様変わりしてしまいました。


そして今、三田小山町の西側の区域も大規模な再開発が計画され、その街並みは完全に失われようとしています。


補足として、三田小山町について写真付きで載せてあるサイトを幾つか紹介します。


三田小山町
本当にここ港区か?!麻布十番駅目前でありえない下町っぷりを見せる「三田小山町」という場所 - 東京DEEP案内

三田小山町と「汚れた川」古川


三田小山町と麻布十番駅との間には、西部と北部を流れる古川が流れています。
古川は渋谷駅辺りを流れる渋谷川の下流で、川が港区に入ると古川に名前が変わります。
(正確には、広尾駅そばの天現寺橋下の笄川合流点から古川に名前が変わります。)


渋谷川は、渋谷から恵比寿辺りまでは下水処理施設の落合水再生センターからの水が流れてくるお陰で綺麗なのですが、古川になった辺りから川の水はどんどん汚れていきます。


そしてさらに川を下った三田小山町付近では、上には首都高が走り、その周囲は高いコンクリートの壁に囲まれた、ゴミと悪臭の漂う「汚れた川」になっています。


古川の周囲は「新広尾公園」という公園になっており、明るい周囲とは対照的に、都心とは思えないような暗闇に満ちています。


古川の一帯は江戸時代には低湿地帯が広がっていたようですが、河岸の開拓によりいつしか人が住み始め、大正時代には低所得者が集中して暮らすスラムの様相を呈した住宅地があったようです。


戦後の首都高速道路建設によりその町域は立ち退きに遭い、三田小山町の川の対岸は首都高速2号線目黒線の高架下になってしまいました。
今ではその三田小山町に隣接する一部が「新広尾公園」となっています。


恐らく、この古川は「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」の歌詞に登場する「汚れた川」です。


その根拠は幾つかあります。


まず、小沢健二さんがApple Musicで配信している「Tokyo, Music & Us 2017-2018」#2 小沢健二と峯田和伸の回で話していたこと。

小沢健二「で、なんかこないだ友達がなんか、それこそ光を、無理矢理に当てて暗闇をどんどん無くしていって。
で、どんどんその霊性を追いやっていくときに
『霊性は文字の形で残った』っていうのを言っている人がいて。
それで...その人はチェーホフを例に出してたんだけど。
もっと満ち満ちていたのにあそこに隠れて(笑)
もうほんとこないだ歩いてて余りの闇のなさになんか絶望的になったんですよ。
それで、唯一、川が、もう、追いやられているじゃないですか川とかって。
追いやられてるから深くて、コンクリートで無理矢理壁作られてて、そこん中暗いんですよ。
それがすっごい良くて。でそれがちょうどその時に書いていた曲にあの反映されていると思うんですけど。
それどっちがどっちかわかんないなでも。曲、何かがあったから書いたのか書いた、書いたからそう見えてるのかもわかんない。
てかもうそれもわかんないですよどういう、時系列がないっていうか。
それこそ霊性がずっとそれが漂ってるからその川のことがあったり、するのかわかんないけど。
それ...の、それでなんか、『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』っていう曲を書いて。」

―Apple Music「Tokyo, Music & Us 2017-2018」#2 小沢健二と峯田和伸 16分9秒頃から


麻布十番駅から古川に架かる小山橋を通り、三田小山町に向かう途中に「新広尾公園」という公園の脇の道を通るのですが、その公園の辺りはそれまで賑やかだった都市の灯りが急に少なくなり、暗い一帯になります。

また、「新広尾公園」には古川の水面近くに降りることが出来る親水テラスという場所がありますが、特にその辺りは夜はかなり暗く、アルペジオの最初の歌詞の雰囲気とも合います。


幾千万も灯る都市の灯りが生み出す闇に隠れた
汚れた川と 汚れた僕らと

―小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』


そして、現地に行ってみて分かったのですが、『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のジャケット写真の道の先には古川があります。
この先は「新広尾公園」で、丁度先ほど述べた古川の親水テラスがあります。

あくまでも推測の域を出ませんが、もしかしたら『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』はこの古川のほとりで、そして三田小山町で生まれたのかも知れません。

ジャケット写真がこの場所だったのはそうした経緯があるのではないでしょうか。

三田小山町とタモリさん


実は2009年11月12日放送のNHK「ブラタモリ」で、タモリさんがこの街を歩いていました。

ブラタモリは直近の放送回しか「NHKオンデマンド」で見ることが出来ないため、紹介できないのが大変残念なのですが、ネット上で探せばみることは出来ます。

ブラタモリ 第5回「三田・麻布」編
NHK総合テレビ 2009年11月12日(木)放送


三田丘陵から下る、銭湯「小山湯」の脇を抜ける細い階段。

銭湯の煙突のある、古き良き戦前の街並みを残す三田小山町を望むこの景色は、タモリさんが何度も写真を撮ったところだそうです。


番組では、三田小山町の商店街のタバコ屋のお母さんとの話で、この地域で再開発計画があるということを話しています。それを聞き、タモリさん「やはり」と仰っています。


「あたりにも超高層ビルがあるが、目を違うほうに向けると古い住宅地の一角。これが東京のいいところで、いい都市って言うのは、この二つが同時に混在している。」

ー陣内秀信(法政大教授、イタリア建築史)
NHK ブラタモリ「三田・麻布」編

この回でタモリさんを案内した、法政大学教授でイタリア建築史を専門とする、陣内秀信先生のこの言葉が印象的でした。

東京は、幾つもの時代が地層のように重なっている。
小沢健二さんがApple Musicで述べていた、「江戸/東京」という話にも繋がるような気がします。

この放送回のことを当時ブログで要約されている方をみつけたので、以下に載せておきます。


『ブラタモリ 第5回 「三田・麻布」』

ブラタモリ 第5回 「三田・麻布」 NHK 総合テレビ 2009/11/12(木) 22:00~ NHK「ブラタモリ」公式サイト 今回は三田・麻布。 久保田アナは、慶応大学出身なので、このあたりを良く歩いていたそうです。 冒頭で歩いていたときに通った『麻布ラーメン』もよく食べに来たみたい。 慶応大学東門が見えるあたりで、タモリが、 「この右側の坂があるんだけど、その辺り一帯は別世界でいいよ」



なお、後述しますが、三田小山町の一角にある「東京さぬき倶楽部」という宿泊施設では、「タモリ倶楽部」内のコーナー「空耳アワー」のロケ地としてよく利用されていました。
タモリさん自身も、「タモリ倶楽部」のロケで何度も訪れていました。

『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』ジャケット写真と動画『小沢健二飯倉片町藪蕎麦前』との関係について

古川両岸の「鼠穴」と「狸穴」


[元神明宮(天祖神社)の写真]

三田小山町には「元神明宮(天祖神社)」という神社があります。

この神社へと下る坂は「神明坂」と呼ばれ、その周辺の町屋は俗に「鼠穴(ねずみあな)」「巣穴(すあな)」と呼ばれていたそうです。


これは古川対岸の北側の丘陵部「狸穴(まみあな)」 を意識した地名だと考えられています。


ここで言う古川対岸の丘陵部「狸穴」とは、Apple Musicの『Tokyo, Music & Us 2017-2018 #1 小沢健二と満島ひかり』の、満島ひかりさんとの対談の中で出てくる「狸穴坂」の「狸穴」のことです。


すなわち、「狸穴」は飯倉片町藪蕎麦前の飯倉片町に、「鼠穴」は三田小山町に対応しています。


首都高速道路


そしてこの「狸穴」と「鼠穴」の二カ所は首都高速道路で繋がっています。

まず、『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のジャケット写真の奥に映る高架は「首都高速2号目黒線」です。

そしてこの目黒線を北上すると、一ノ橋ジャンクションで「首都高速都心環状線」(飯倉片町を二分した「飯倉交差点」にある高速道路)となり、さらに北上すると「飯倉トンネル」に入ります。

この「飯倉トンネル」は動画『小沢健二飯倉片町藪蕎麦前』の最初に映る、地下歩道の下に車が通っているトンネルです。


首都高の歴史

首都高速道路株式会社の首都高の歴史のページです。


ちなみに、この2つの首都高速は同じ年に完成しました。

首都高速都心環状線が完成したのは1967年7月4日(芝公園〜霞が関)、
首都高速2号目黒線が完成したのは1967年9月30日です(一の橋JCT〜戸越)。




飯倉片町そばの「麻布台・虎ノ門地区第一種再開発事業」は、この動画が公開された2019年4月から開始されました。

今では地域は更地になり、かつてあった坂は均され、超高層ビルの建設が進んでいます。


そして今、三田小山町西地区でも再開発事業が行われようとしています。


小沢健二さんがこのような場所を選んだのは、果たして偶然なのでしょうか?


再開発事業の進捗状況

平成28年3月29日(火)に行われた「第227回 港区都市計画審議会」の議事録をみると、三田小山町西地区の再開発事業の経緯は以下の通りのようです。
(A地区は現シティタワー麻布十番、B地区は現パークコート麻布十番 ザ タワー、C地区は三田小山町西地区)


1991年 A地区、B地区とともに、小山町まちづくり協議会が発足。
1994年 市街地再開発準備組合設立。
2000年 A地区、B地区の地区計画を都市計画決定。

この時点ではC地区は、具体的な道路や広場、建物の制限などを定める地区整備計画については定まっていなかった。

2009年 準備組合総会にて基本計画案を決議
     準備組合で都市計画手続開始に向けた地区内の住民への仮同意取得活動を開始。

➡関係機関との協議等を進め、約8割の同意を確認。

2015年12月〜 都市計画手続を進める。


今後の予定

2016年6月 都市計画決定
2017年度 市街地再開発組合設立認可
2019年度 権利変換計画認可
2020年度 工事着工
2024年度 工事完成


行政側の記録では2016年以降の進捗状況についてはよく分かりませんでしたが、再開発事業に対して疑問を持たれていると思われる方のサイトを見つけました。

この方は、2020年2月に配布された再開発事業を行うデベロッパー側が用意したと思われる準備資料を載せており、そこに最新の進捗状況が載っていました。

「ニュース」これからの再開発予定!

1991年 小山町まちづくり協議会発足 1994年 準備組合設立 1996年 事業協力者 戸田建設決定 2006年 参加組合員 4社決定 2009年 都市計画決定のため仮同意集め開始 2016年6月  都市計画決定の同意率79.6% 2019年3月 再開発組合設立の同意率62% 2020年2月 再開発組合設立の同意率72%  Riaのコンサルタントとしての実力 1年でわずか10%の同意率のアップ! 当初より10年遅れの計画、同意率が取れないので姑息な政治力を使うか? 令和2年の最新スケジュール 準備組合資料より 予定では平成39年(令和9年3月)に竣工する予定である "当初計画より10年の遅れ" (多くの権利者がriaの再開発に慎重な行動を執ったからです) Riaは、わずか72%の同意率でR2年2月に組合設立認可申請をすると言う。 以前行政より都決定80%以上の同意率、組合設立90%程度、権利変換100%に近い数字と聞いたことがあります。 法律上の66%は超えていますが暴挙であります。 たとえば他の再開発コンサルは、状況が前に進まない場合大多数の住民の意向を聞きデベロッパー・ゼネコンと調整をし、条件も2~3回見直しをすると聞きます。 現在は土地価格は上昇していますが、riaは12年前のリーマンショック後の不動産価格の悪条件(権利変換率)を無理やり押し付ける強引な手法で権利者を驚かせています。 土地に愛着のある高齢者は建て替える費用がなければ、最低・最悪の条件でも呑まざるを得ないのを承知で高飛車に有無を言わせず進めてきている。 お得意の政治力で裏から手をまわして 少ない同意率でも国交省から東京都、港区に圧力を 掛ける積りでしょうか? 当然都も港区も忖度し組合は設立されるでしょう。 国交省にはriaの社員も民間交流人事で在席していますし、riaの社長も国交省の都市再生への誘導方策検討調査委員会等、小委員会の委員らしいです。

余談ですが、事業協力者のひとつ、戸田建設は昨年から「ほんトダ!」でドラえもんとコラボしているだけに、何だか複雑です。


準備資料を基に、2020年2月現在の再開発事業の今後の予定を以下に抜粋させて頂きました。


2020年2月中旬〜下旬(予定)
 公共施設管理者同意
 再開発組合設立認可申請
2020年4月〜 事業計画の縦覧
2020年8月〜9月 再開発組合設立認可
2021年度 権利変換計画認可
2022年度 施設建築物 工事着工
2026年度(2027年3月予定) 施設建築物 工事竣工

ー「アール・アイ・エーriaの港区三田 小山町再開発の現状」
 準備組合資料より

2016年頃の計画より2年ほど遅れているようです。

この事業計画については2020年4月以降に縦覧が出来るようになる予定だと資料にあるので、今後公表されたらそれも確認したいと思います。


しかし組合設立となると、いよいよ再開発事業が本格的に進みそうですね...。


三田小山町で再開発を行う理由

再開発事業を進める側の説明

三田小山町では、何故再開発事業が進んでいるのでしょうか。


2016年3月29日に行われた「第227回 港区都市計画審議会」の議事録によると、三田小山町西地区の再開発事業の目的について、以下のように説明しています。

古くから培ってきた良好なコミュニティの継承、土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新、防災性の向上や良好な居住環境の創出、安全で快適な魅力ある複合市街地の形成を目標としております。

-第227回 港区都市計画審議会議事録 2016年3月29日

現在の計画や、同じように住宅地にマンションが建った隣の地区の現状から想像するに、三田小山町の地域住民は、外に出て歩けばすぐにお隣さんに会える状態から、エレベーターで上り下りしてようやく知り合いに会えるようなマンションに押し込められることになって、いままでよりも格段に行き来が難しくなるだろうし、街でよく見られた井戸端会議をすることすら出来なくなる。

その上2000人以上の人びとが新たに住む予定で、そうなると地域住民の方々は少数派になってしまうでしょう。

そうした状況の中で、果たして「古くから培ってきた良好なコミュニティの継承」などできるのでしょうか。

せめて事業者の言いなりではなく、地域住民が主体となって再開発事業について考えているのならまだ良いのかも知れませんが、そうした動きがあるわけでもなさそうです。


再開発事業に参画している香川県公開している再開発事業についての資料によると、三田小山町において再開発を行う理由として、『三田小山町西地区市街地再開発事業の概要』では、火災や古川の氾濫の危険からこの地域を護るため、木造家屋が密集し道が狭いこの一帯を整備する必要があると説明されていました。

本地区は、木造家屋が密集し、道路・公園等の都市基盤が未整備であったため、地下鉄麻布十番駅の開業を背景に平成13年7月に地区計画の決定、平成17年1月には地区整備計画を追加し、段階的に街づくりを進めてきました。

(資料『三田小山町西地区市街地再開発事業の概要』より)

この地では実際に、災害に関してどれほどの危険性があるのか、調べてみましたが、港区がHPに掲載しているハザードマップなどでは浸水の予測があるようですが、災害が頻繁にある地域ではないようです。

三田小山町は洪水・浸水・高波被害が殆ど無い。
過去30年の浸水被害では平成11年の梅雨時の集中豪雨で浸水被害が報告。
過去最強クラスと言われた昨年の台風では被害は無かった。
古川流域の1時間の最大雨量が153mm、24時間の総雨量690mmという、想定される最大雨量だった場合、三田小山町西地区の大部分が最大1m浸水する予測がある。
(「港区浸水ハザードマップ 芝地区」より)

地震の危険性について

港区揺れやすさマップ」では、M7.3の「東京湾北部地震」が想定されています。
三田小山西地区周辺は震度6強(6.1~6.2)が想定されています。

港区液状化マップ」では、古川の河川沿いであることからか、対岸の麻布十番同様に、液状化の可能性がある地域とされています。特に東京讃岐会館敷地の北東側を含む一部の地域は液状化の可能性が高いとされています。
(首都直下型地震M7.3の「東京湾北部地震」想定、液状化層における加速度値 500~600超gal)


火災の危険性について

また、火災の危険性については、木造家屋の密集地帯で、消防車が入りにくい狭く入り組んだ路地があることが挙げられるようです。


しかし、この街は関東大震災でも建物の倒壊や火災に見舞われることが無かったようです。
(参考: 武村 2003 「1923 年関東地震による東京都中心部(旧 15 区内)の 詳細震度分布と表層地盤構造」)


また、東京大空襲においても被災を免れたようで、戦前の様子を今に残している街です。
(参考: 日本地図株式会社 1945「戦災消失区域表示 帝都近傍図」)


そのおかげか、今でも三田小山町商店街には、昔ながらのお豆腐屋さんやクリーニング屋さん、タバコ屋さんなどが立ち並んでおり、古き良き東京の姿を残す街並みを見ることが出来ます。


街の中には大正10年に建てられた銭湯「小山湯」があり、2007年に廃業して以降もなお、当時の姿をそのまま残しています。



このように、三田小山町は、同じく震災や戦災を潜り抜けてきた本郷、根津、京島などの他の東京の下町と同じく、江戸から脈々と受け継がれてきた古き良き日本の雰囲気を色濃く残すところだったのです。

また、三田小山町は、バブル期にも地上げなどの影響もなく、2000年までは昔ながらの佇まいを残していたと言います。


しかし、2000年以降、三田小山町は3度に渡る大規模な再開発事業に見舞われます。

既に三田小山町の3分の2は高層マンションへと変わり、残るは三田小山町西地区を残すのみとなっています。


何故この地域は大規模な再開発にさらされ続けてきているのでしょうか。



不動産の立地からみたメリット

三田小山町周辺、そして古川対岸の麻布十番を含む三田・麻布地域は、元々1990年代までは周辺に駅もなく、都心からのアクセスも悪く、木造住宅地が密集する閑静な住宅街でした。

そんな地域が大きく変わっていく契機となったのは、2000年の地下鉄の駅「麻布十番駅」の開業だそうです。

2000年9月に東京メトロ南北線が、同年12月に都営大江戸線が開通したことに伴い「麻布十番駅」が誕生したのです。


麻布十番駅の開業によって、麻布十番を訪れる人々の利便性が向上したことはもちろん、都心の主要エリアへのアクセスが良いことから居住エリアとしての価値が向上することとなりました。

また、隣接地域である六本木エリアの開発も進み、2003年4月開業の「六本木ヒルズ」や2007年1月開業の「東京ミッドタウン」などにより、周辺地域のブランドイメージの向上が一気に図られたということです。


こうした変化は麻布十番駅のすぐ東側に位置する三田小山町も例外ではなく、幾つかの大規模な再開発が推し進められるようになりました。


三田小山町東地区第一種市街地再開発事業(完了)

三田小山町地区(約4.3ha)は、古くからのコミュニティの継承、地下鉄新駅の開業に伴う土地利用の転換、土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新を目標に平成13年7月に地区計画が定められており、当地区はそのうちの約0.9haの地区です。(西側隣接地区約1.1haは市街地再開発事業の都市計画決定済み。) ...



まず、「三田小山町東地区第一種市街地再開発事業」(2005年1月 都市計画決定)により、2009年5月に「シティタワー麻布十番」が竣工しました。


三田小山町地区第一種市街地再開発事業(完了)

東京都港区公式ホームページです。


そして「三田小山町地区第一種市街地再開発事業」(2001年7月 都市計画決定)により、「パーク・コート麻布十番(ザ・タワー/三田ガーデン棟)」が2010年5月に竣工します。


そして今、「三田小山町西地区第一種市街地再開発事業」が進められようとしています。


以上のように、どうやら三田小山町だけでなくその周辺地域一帯は、麻布十番駅の開通に伴い、都心へのアクセスのよい住宅地として、今不動産業界が注目している地域のひとつのようです。

しかも三田小山町西地区は「麻布十番駅」の出口から徒歩数分の位置にあり、事業者は何としてもこの地域を開発したいと考えているのでしょう。


麻布十番エリア 地下鉄の開通・駅の誕生が街にもたらした新たな魅力と発展性

青山や赤坂とともに、都心のブランドエリア「3A(Aoyama・Akasaka・Azabu)」の一角を担う麻布エリアは、都内でも有数のプレミアム立地として知られ、憧れの存在となっています。富裕層が多く居住する高級住宅街が形成され、洗練された街並みが特徴的です。



不動産事業に携わる人々は、都心のブランドエリア「3A」の一つである麻布エリアのブランドイメージをさらに向上させたい、そんな思惑があるのかもしれません。


事業者側の立場としては、人びとの生活が息づいてきた木造住宅密集区域を、防災上危険があるということで取り壊し、「安全で快適な魅力ある複合市街地」を建設しようとしているとのことです。

しかし、三田小山町に実際に行ってみると、そこには再開発事業が進行しようとしている現在においても、地に足の付いた生活が確かに息づいています。

この地域に実際に住んでいる住民の方々は、現状に特に不満があるようには思えません。

また、同地区の2区の再開発の話を読むと、良い事ばかりではなさそうです。
再開発における意見の違いから地域住民同士の関係性は悪くなり、最後まで反対していた住民の方々は土地を離れざるを得なくなったそうです。
再開発に関わる企業の方々は、本当に地域住民の方々のことを考えているのでしょうか?


大正、昭和、平成、それぞれの面影を残す木造住宅地が立ち並ぶこの地域。


路地には風情のある鉢植えたちが、地域の至る所に並んでいます。





三田小山町の路地に今も根付く、聖なる鉢植えたち。
高層マンションは、人びとの地に足の付いた生活を無くし、路地の鉢植えたちを無くしてしまうだけでなく、与えられたマンションの一室に人々を押し込め、それまでゆるく合意してきた、洗練された日本列島のあり方をも破壊してしまうのです。



再開発事業に関係する当事者の人たちについて

市街地再開発とは?|野村不動産 市街地再開発事業
事業計画に関係する当事者の人たちには、どのような人たちがいるのでしょうか。


再開発事業を行うにはまず再開発組合を設立する必要があります。

それには対象となる土地に住む人たちや、その土地を持っている人全体の3分の2以上の合意を得なければなりません。

対象となる土地に住む人たちや、その土地を持っている人たちのことを地権者と言います。


市街地再開発組合の設立要件(都市再開発法第14条)

組合の設立にあたっては、市街地再開発事業の施行区域内の宅地について所有権又は借地権を有する5人以上が共同して、組合の定款と事業計画を定め、都道府県知事の認可を受ける必要がある。また、設立について、以下の条件を満たす必要がある。

①施行地区となるべき区域内の宅地について所有権を有するすべての者及びその区域内の宅地について借地権を有するすべての者のそれぞれの三分の二以上の同意。

②同意した者が所有するその区域内の宅地の地積と同意した者のその区域内の借地の地積との合計が、その区域内の宅地の総地積と借地の総地積との合計の三分の二以上。

-都市再開発法 第14条 市街地再開発組合の設立要件


三田小山町西地区では、2020年2月現在までに72%の合意を得たそうなので、「都市開発法」の法律上の要件を満たす3分の2以上の合意が得られたことになります。


この地の地権者にはどのような方々がいるのでしょうか。


三田小山町西地区については、地権者は大きく2つに分けることが出来ます。


・三田小山町西地区の住民
・香川県(東京さぬき倶楽部敷地所有者)


この地域については、地域住民だけではなく、東側の大部分の土地を所有している香川県も関係しています。


まずは香川県が所有している土地について調べてみました。


香川県(東京さぬき倶楽部)

香川県の再開発事業参加の経緯について


香川県は三田小山町に「東京さぬき倶楽部」(旧名・東京讃岐会館)という県の宿泊施設兼県の交流施設を所有しています。

香川県の地域新聞である『四国新聞』の記事によると、香川県は2007年9月18日に再開発事業に参加する意向を明らかにしたようです。

東京讃岐会館、再開発事業に参加−香川県方針

香川県は18日、香川県が民間に貸し付けている宿泊施設「東京讃岐会館」(東京都港区三田)周辺の再開発事業に参加する意向を明らかにした。同会館は権利転換や一部売却などを含めて有効活用を検討。再開発の事業着手は早ければ4年後の見込みで、それまで同会館は暫定的に事業を継続する。同日開かれた9月定例県議会総務委員会(山本直樹委員長)で、花崎光弘氏(自民・東かがわ)の質問に、山下幸男政策部長が答えた。
同会館は地上12階、地下1階。敷地面積は5217平方メートル。2003年8月から喜代美山荘(高松市)に土地と建物を貸し付け、「東京さぬき倶楽部」として営業している。
香川県によると、再開発事業は古い町並みが残る会館周辺の約4・3ヘクタールを開発し、新たに商業施設を含む超高層マンションなどを建設する計画。同会館は再開発地区に隣接しており、計画区域の拡大に向け参加を求められていた。
同会館は1972年のオープンで、老朽化対策や耐震化工事の必要があるが、県は、厳しい財政状況の中で多額の経費を投じるのは難しいと判断。山下部長は「再開発に参加する方向で、港区や地元の準備組合と協議を進めたい」としている。
喜代美山荘との契約は3月末で終了するが、4月以降については、少なくとも10年度までは暫定的に使用できる見込みがあるとして、再度民間事業者を公募する方針。

ー四国新聞、2007年09月19日


三田小山町西地区の再開発の都市計画決定が2000年7月、準備組合総会で基本計画案が決議されたのが2009年6月で、それ以降に都市計画手続き開始に向けて住民への仮同意を得る活動が開始されたことを踏まえると、香川県の再開発事業への参加表明は随分早い段階だったようです。


2016年6月の都市開発決定を受け、敷地をどのように活用するかということについて、香川県は2016年7月25日に「市街地再開発に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討委員会」を開き、検討を行っていたようです。


市街地再開発に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討委員会

東京讃岐会館の区域を含む三田小山町西地区第一種市街地再開発事業の都市計画決定に伴い、本県が当該地区内の県有資産の利活用方法の検討を行うにあたり幅広く意見を求めるため市街地再開発に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討委員会を設置し、検討いただきました。 ◆開催日 平成28年7月25日(月曜日) ◆議題 1 東京讃岐会館等及び市街地再開発事業の概要について 2 東京讃岐会館周辺現地確認 3 市街地再開発事業に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討委員会の検討事項とスケジュールについて ◆資料 ◆開催日 平成28年9月8日(木曜日) ◆議題 1 権利床で確保する機能と規模 2 権利床の運営に関する基本的考え方 3 宿泊機能の維持・確保に関する基本的考え方 ◆資料 ◆開催日 平成28年11月18日(金曜日) ◆議題 市街地再開発に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討結果報告書(案)について ◆資料 ◆開催日 平成28年11月22日(火曜日) ◆報告内容 市街地再開発に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討結果について ◆報告書 市街地再開発に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討結果報告書の概要 (PDF 405KB) 市街地再開発に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討結果報告書 (PDF 1,720KB) [担当] 政策課 総務・地方分権G 電話:087-832-3126 FAX:087-806-0234 メール: seisaku@pref.kagawa.lg.jp

香川県の再開発事業の参加は計画の進行に大きな意味があります。

再開発予定区域が約2.5ha、東京さぬき倶楽部の敷地面積が5217㎡(0.5217ha)なので、予定区域の5分の1を占めます。

都市再開発法第14条②により、組合設立には同意した者の所有する土地の面積が予定区域の3分の2以上である必要があるので、これは計画の進行に大きな影響があったと思われます。


「東京さぬき倶楽部」の敷地について

「東京さぬき倶楽部」の敷地は、江戸末期には大和郡山藩主柳沢氏の大名屋敷が存在していました。
明治時代に入り元摂津尼崎藩主・子爵桜井家や世界で初めて真珠の養殖に成功した御木本幸吉氏の別荘、農務省総務長官藤田四郎氏の本邸などの所有を経た後、1951年(昭和26年)に香川県が土地を購入しています。


カフェ「道みち」

讃岐会館(東京さぬき倶楽部)は、昭和47(1972)年に、建ちました。その入り口に蔵のような建物があります。何か事務所のようです。 讃岐会館が建つとき、元有った建築物からこの藏のような建物が、地元の要望でできたと聞きました。かなり古びていますが、後ろの高層ビルと、何か象徴的な存在感があります。讃岐会館の後ろへ廻ると、緑の多い庭園になっています。そこに狛犬がいて碑がありました。 ...


明治時代に建てられた屋敷は今も利用されており、別館「小豆島」や別館「花樹海」、「茶室」として現存しています。
その施設のひとつ「ばんげ」のHPに、内外の様子を伺える写真があります。

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とても風情のある建物ですよね。


別館一号館の「花樹海」は、元摂津尼崎城主、元櫻井子爵家のかつての所有地にあたり、1887年(明治20年)頃に河手長平が建てた邸宅だそうです。

現在は「別館 花樹海」として、讃岐の旬が味わえる会席料理のお店になっています。


別館二号館の「ばんげ」は、当時の農商務省長官、藤田四郎(1861-1934)の本邸の一部を移転したものだそうで、御木本幸吉氏の別邸でもあったそうです。
藤田四郎氏は、御木本幸吉氏が宮内省御用達の業者になるときの保証人だったそうです。
建物は藤田氏がこの土地を取得した1900年(明治33年)頃の建物で、近隣の人びとからは「紅梅屋敷」と呼ばれていたそうです。

現在は日本料理のお店「讃岐の旬、四季の香 ばんげ」として活用されています。


ちなみに、御木本幸吉氏の実家はうどん屋だったそう(三重県鳥羽のうどん屋「阿波幸」の長男として生まれた)で、現在香川県の施設として、讃岐うどんを提供する飲食店がその敷地内にあるというのはなかなか白く太い縁があるのだなあ、と思いました。


また、敷地内は他にも歴史を感じることのできる様々な遺構が残されています。


東京さぬき倶楽部の入口。
名称変更前の「讃岐会館」の名前がある。


まず、入り口のレトロな門柱がとても素敵です。

【土蔵の写真】

そして、入り口脇にあるのが土蔵。
ここは管理事務所として活用されています。
土蔵には「三つ組銀杏」の家紋があります。
この土蔵は御木本邸の時からあったものを移築したのではと言われていますが、とあるブログ記事に三田小山町の住人からの寄贈という説がありました。
道路を挟んだ向かい側には銀杏稲荷大明神(別名白滝稲荷神社)があり、そこにはかつて樹齢400年の銀杏の木が2本あったそうなのですが、土蔵の家紋が「三つ組銀杏」であるのは何か関連があるのかもしれません。

【庭園の写真】

そして竹林を含む緑豊かな庭園が「東京さぬき倶楽部」の敷地内に残されています。


御田八幡神社

鎮座地   〒108-0073 東京都港区三田    3丁目7番16号 交通のご案内   ◆JR田町駅   三田口(西口)     徒歩約8分 ◆地下鉄三田駅   (浅草線・三田線)   A3出口徒歩約8分 ◆地下鉄泉岳寺駅   (浅草線)   A3出口徒歩約5分 お問い合わせ   電話3451-4687 ※9時〜17時にお願  い致します  主祭神:誉田別尊(ほんだわけのみこと)  相殿神:天児屋根命(あめのこやねのみこと)      武内宿禰命(たけしうちすくねのみこと) 和銅2年(709)、牟佐志国牧岡(むさしのくにまきおか)というところに、 東国鎮護の神様として鎮祀され、延喜式内稗田神社と伝えられた。 その後、寛弘8年(1011)武蔵野国御田郷久保三田(みたごうくぼみた)の地に遷座され、嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇された。俗に「綱八幡」と称する。 江戸開幕のみぎり、僧快尊が元和5年(1619)現社地を卜して造営を開始し、寛永五年(1628)8月に遷座した。別当は八幡山宝蔵寺と称し天台宗に属する。 神仏分離により別当僧復職し神主職に就いた(石田弾正)。明治2年9月稗田神社と称号した。同7年1月に三田八幡神社と改称し、同30年4月三田の冠称を御田の旧名に復し御田八幡神社と称号するに至った。 昭和20年5月に、米軍による東京大空襲により、江戸時代のご社殿を焼失する。昭和29年に、本殿権現造、幣殿・拝殿・神楽殿・社務所を再建した。 平成21年は、神様をお祀り申し上げてより1300年の佳節を迎えた。 前社地(久保三田)にある碑 (三田1丁目の   「東京さぬき倶楽部」内)


【御田八幡宮古跡の写真】

また、庭園の裏手には、「御田八幡宮古跡」があります。

ここは、現在はJR田町駅付近にある「御田八幡神社」がかつて置かれていた場所だそうです(三田小山に遷座したのは1011年だそう)。


【東京タワーの写真】

この場所からも東京タワーが見えます。


【東京讃岐会館本館の写真】

また「東京讃岐会館本館」は大江宏氏による設計だそうです。


大江宏氏は東京帝国大学出身で丹下健三氏と同期に当たります。

「明治神宮宝物殿」や「神田明神」「乃木神社」「国立能楽堂」「在日メキシコ大使館」「法政大学55・58・62年館」など都内の建築だけでなく、「香川県庁舎」や「香川県文化会館」「丸亀高校武道館(本館は2012年解体)」など、香川県の建築にも多く携わっています。

また「日光東照宮」の修理や「伊勢神宮内宮神楽殿(三重)」にも携わっていたそうです。


ちなみにこの東京さぬき倶楽部の宿泊施設。
実はここは「タモリ倶楽部」の名物コーナー「空耳アワー」のロケ地でもあるそうです。
2011年4月1日の「空耳アワード 後編」でここがロケ地であることが紹介されていました。

タモリさんも何度か番組のロケで来ていたりします。


価格.com - 「タモリ倶楽部」2013年2月9日(土)放送内容 | テレビ紹介情報

タモリが麻生十番「東京さぬき倶楽部」から挨拶。山根良顕が今回は全部タダのゲームで遊ぶと話した。 「落花生遊び」をプレイ。片手でいくつの落花生をつかめるかというゲームで、山根良顕が36個で一番だった。 その2 紐をつけた落花生を落として瓶に入れるというゲームをプレイした。現在1位。 「落花生遊び」をプレイ。片手でいくつの落花生をつかめるかというゲームで、山根良顕が36個で一番だった。 その2 ...


タモリ倶楽部 バイトで怒られっぱなし!?トリプルファイヤー吉田の適正バイトを探す (2017/10/13)

タモリお気に入り?早稲田の後輩トリプルファイヤー吉田。 居候歴6年でバイトで生計を立てるも失敗ばかり、彼に合った仕事は何か? 跡継ぎ問題も勃発!驚きの実家にもロケ敢行! ついにフジロックに出演を果たしたバンドの魅力?も分析。 ◆出演者:タモリ ◆ゲスト:クリス・ペプラー、トリプルファイヤー ◆ソラミミスト:安齋肇 <2017/10/14 0:20 テレビ朝日> (タモリ)毎度おなじみ流浪の番組『タモリ倶楽部』でございます。 今日は 港区にありますさぬき倶楽部っつうのに来てまして。 ここは 空耳アワーでもちょいちょいお世話になってるんですけども。 さぬきとあるように香川県の方々が主に利用するところという事になってます。 (クリス)そうなんです。今日はですね タモリさん その香川県出身のミュージシャンがタモリさんに相談があるという事なんですね。 (タモリ)香川県出身のミュージシャンって誰ですか? (クリス)トリプルファイヤーの吉田君です。 (タモリ)ええ~。 (吉田)よろしくお願いします。 (スタッフの笑い) (タモリ)あれ? 香川出身なの? (吉田)はい 香川です。 (タモリ)あっ 本当。 へえ~。 (クリス)そして吉田君は実は タモリさんの母校の早稲田大学の後輩でもあるんですね。 (タモリ)なんの相談なの? (クリス)どうやら バンドは当然やってるんですけれども生活のためにバイトをやっているんですがこれが何一つ続かないらしいんです。 (タモリ)ああ ああ...。 (クリス)何も続かない。 そこでタモリさんに吉田君にとって一番いいバイトは何かそれを ちょっと相談しに来たという...。 (タモリ)ないんじゃないの? (クリス)まあ でもかわいい後輩じゃないですか。 〈今回 3度目の出演となるトリプルファイヤー吉田〉 〈彼は 初登場の際に...〉 (タモリ)元気な日もあるの?

計画後の同地域の香川県の施設について


香川県

市街地再開発事業に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討結果報告書の概要


香川県の協議内容をみると、当地では移設後は地区計画における建築物等の用途制限で、ホテル又は旅館の建築が出来ないことになっているそうです。


三田小山町西地区(第3・5地区)では、土地の合理的かつ健全な高度利用及び
都市機能の更新を図るべく、第一種市街地再開発事業により、公共施設と建築物の一体的な整備が行われる予定であるが、地区計画における建築物等の用途制限としてホテル又は旅館、遊技場又は遊戯場、勝ち馬投票券販売所、場外車券売場及び勝舟投票券販売所は建築できないこととなっている。

 

その代わりに、完成した高層ビルの一角に敷地を得て、様々なイベントスペースと、港区が管理する公園「讃岐公園(仮称)」を造る計画のようです。


讃岐公園(仮称)

・東京讃岐会館にある樹木、遺構を移設
・都会の森として、現在の東京讃岐会館の庭園を生かした整備を行い、新たに取得する権利床との相乗効果によるにぎわいを創出
・かつて、ここに「東京讃岐会館」があったことや、香川県とのゆかりを後世に残す
※港区が管理する公園となる予定であり、港区との協議・調整が必要となる

市街地再開発に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討委員会 2016「市街地再開発事業に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討結果報告書(案)」より

この時の計画では、「東京讃岐会館にある樹木、遺構を移設」するとありますが...どうなるのでしょうか。

私はこの施設に宿泊したことはありませんが、ロビーや庭園を望むテラスでお茶をすることができたり、また食事処もあるので、よく利用をしています。


ロビーにある椅子「コノイド・チェア」や机はアメリカはワシントン州生まれの日系アメリカ人の家具デザイナー、ジョージ・ナカシマさんのもの。
同氏は「讃岐民具連」に参加し、長年同士のパートナーとして共に家具製作をし、現在も同氏の家具を公式に制作している「桜製作所」さんが高松市にあるなど、香川県にゆかりの深い方のようです。

※讃岐民具連:日常生活において人びとの間で古くから伝承され、使い続けられてきた民具を、より洗練された新しい形で再生しようとする運動から設立された団体。1963年に設立。


本館のロビーは素晴らしい造りで、老朽化で致し方ないとはいえ、これを壊してしまうのは勿体ない気がしました。



東京さぬき倶楽部の現況


2020年2月23日、西日本放送(RNC)のニュースで、東京さぬき会館が今年の8月末で閉館すると報じられました。


それに先だって、2020年2月20日、香川県のHPにて閉館の案内が掲載されていました。

香川県|東京讃岐会館(東京さぬき倶楽部)の閉館について

ホーム >  観光・県産品・交流・移住 >  その他(観光・県産品・移住) >  その他の情報  > 東京讃岐会館(東京さぬき倶楽部)の閉館について

そして2020年2月27日、東京さぬき会館のHPでも閉館のお知らせが掲載されました。

港区麻布十番 | 東京さぬき倶楽部 公式ホームページ : 閉館のお知らせ(2020年8月末)

平素より東京さぬき倶楽部をご愛顧賜り、 誠に有難うございます。 この度、三田地区再開発及び建物の老朽化、 設備の不具合が多発し、継続する事が困難となり、 本年8月末をもって閉館となりました。 突然のお知らせで、ご利用頂いていますお客様には ご不便をお掛けすることをお詫び申し上げますと共に 何卒、ご理解賜りますよう、お願い申し上げます。


その後2020年4月、新型コロナウイルスの影響による経営悪化の為、急遽4月末をもって閉館することになってしまいました。

5月には早々に建物内の家具や備品などの設備が近所の方を対象に譲られていたとのことです。

5月末に東京さぬき倶楽部を訪ねてみましたが、既に中に入ることが出来なくなっていました。


三田小山町西地区に住む人たち

一方、地域住民の方々の立場は様々なようです。

三田小山町の再開発事業について、東京大学の市川翔さんという方が2009年に修士論文を書かれていました。以下のリンク先に論文のPDFファイルがあります。

UTokyo Repository - 東京大学学術機関リポジトリ

CMS,Netcommons,Maple



この論文には、三田小山町の再開発の背景やその問題点、同地区で先立って行われた2区の再開発における地域住民の方の話などが書いてあり、読んでいて色々と考えさせられます。

それによると、論文提出時までに再開発事業に反対していた団体は、以下の3団体のようです。

・三田小山町第3・5地区 再開発を心配する会
・日本共産党東京都湊地区委員会
・終の住処を守る会(芝地区)


このうち、「三田小山町第3・5地区 再開発を心配する会」が作成した「街こわし再開発反対」の幟は、今も三田小山町の街の中で幾つも見ることができます。

この会のサイトを見つけました。



三田小山町第3・5地区 三田小山町再開発を心配する会


小山町3・5地区 再開発を心配する会

再開発マンションに入居する場合、これまでの暮らしにはなかった管理費、修繕積立金、税金増額がかかるようになります。 また、再開発マンションに入居せずに代替地に転居する場合、近隣代替地の確保は極めて難しく、代替地に新しい家屋を建設するために自己負担を強いられることになります。 更に、高層マンションに住むと驚くべき健康被害が発生することがわかってきました(高層マンションの健康被害の紹介)。 つまり...

サイトに掲載されている「かわら版」は、2017年12月を最後に全く更新されていないので、最近は活動をしているのかどうかが気になります。


小山町3・5地区 再開発に関する経緯

1991年  5月 「小山町まちづくり協議会」発足
1994年  7月 「準備組合」設立
1996年  6月 事業協力者 戸田建設 選定
1998年  6月 準備組合 活動休止
2001年11月 準備組合 活動再開
2002年  3月 コンサル RIA 選定
2006年  7月 ディベロッパ選定(三井、新日鉄、三菱地所、藤和、不燃公社)
2009年10月 都市計画決定のための仮同意集め開始
2016年  6月 都市計画決定・告示

小山町3・5地区 再開発計画の概要/特徴

・町会役員が準備組合の理事を務めている。
・町会役員が進める再開発に「ノー」と言えない村社会文化がある。
・ディベロッパは表に出ていない(コンサル中心)。
・ディロッパ所有の土地がないので、健全な住民主体の再開発である(港区コメント)。
・一等地の割りに低い権利変換率(1.4倍)。


「町会役員が準備組合の理事を務めていて、町会役員が進める再開発に「ノー」と言えない村社会文化がある。」というのを踏まえると、港区がコメントをしている「ディロッパ所有の土地がないので、健全な住民主体の再開発である」というのも本当かどうか...。


「春空虹」のメールに手紙を送った件

最後に、非常に個人的なことについて記載します。
でも、もしかしたら、関係しているかもしれないことについて。


私は、2018年の年末に、その年に行われたツアー「春の空気に虹をかけ」の感想を送るために作られたあのメールアドレスにメールを送りました。

どうやらこのメールアドレスは2018年末時点では自動的には消滅してはおらず、当時も有効でした。
このメールアドレスが現在も有効であるか、また、当時送ったメールが届き、読まれているかどうかも分かりません。


私が送ったメールとの関連性は不明ですが、このメールを送った後の2019年4月4日、『強い気持ち・強い愛 1995 DAT mix』が配信され、そして『小沢健二飯倉片町藪蕎麦前』が公開されました。


強い気持ち・強い愛 (1995 DAT Mix) by Ozawa Kenji

Preview, download or stream 強い気持ち・強い愛 (1995 DAT Mix) by Ozawa Kenji





その動画の舞台となった飯倉片町は、その場所自体がかつて首都高速道路建設による開発により2つに分断された過去を持ちます。

そして今もまたその周辺の街が、森ビルによる大規模な再開発「虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業」によって、2019年4月から解体されはじめており、動画の公開当時はほとんど人の住む気配のないゴーストタウンと化し、今にも町ひとつが更地になってなくなってしまいそうな状況でした。

この場所は関東大震災や戦時中の建物疎開により建物が壊されたり、東京大空襲で被災したりしましたが、一方で江戸時代から残る建物もあったということです。

動画の最後では、ネオンサイン"2019 COMING (RELATIVELY) SOON"が置かれた道、外苑東通りの奥、東京タワーの左側に、当時解体中だった旧郵政本省庁舎の仮囲いがうっすらと見えます。

再開発区域の一部であった旧郵政本省庁舎は1930年(昭和5年)に竣工された当時流行したアール・デコ様式の荘厳な建築であり、当時の建築を知る上で重要な建物でしたが、それも2019年4月より解体されてしまいました。


そして、この動画の最初に向いている首都高速道路の先、そこには『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のジャケット写真の場所があります。


つまり、アルペジオのジャケット写真の場所と、この動画は繋がっているのです。
そして、この2つの場所はいずれも再開発に晒されている。

これは偶然なのでしょうか?


虎ノ門・麻布台プロジェクト|主要プロジェクト|森ビル株式会社

「Modern Urban Village」をコンセプトとして誕生する「虎ノ門・麻布台プロジェクト」は、国際都市の洗練さと、小さな村のような親密さを兼ね備えた、世界に類のない、全く新しい街です。 ...



そして2019年4月5日夜にチャット形式とTwitterの連動で行われた
「小沢健二AMA 新作アルバムと失われた強気強愛の謎」


小沢健二 AMA 新作アルバムと失われた強気強愛の謎 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー

小沢健二 AMA 新作アルバムと失われた強気強愛の謎


その中で触れられた言葉と『飯倉片町藪蕎麦前』の動画との関係については、以前Twitterで触れた通りです。


動画「小沢健二飯倉片町藪蕎麦前」についての考察

2019年4月4日にYouTubeユニバーサルミュージック公式アカウントに公開された『Ozawa Kenji Iigurakatamachi Azabudai Yabu Soba Mae 小沢健二飯倉片町藪蕎麦前』。何故小沢健二はこの場所を選んだのか。ナタリーで行われた『小沢健二 AMA 新作アルバムと失われた強気強愛の謎』で語られたことなどを踏まえて、考察しました。




そして、アルペジオの場所についての小沢健二さんのコメントが、2019年10月26日に公式インスタグラムに投稿されました。








前作『アルペジオ』のジャケット。架空の生活。あったかもしれない、本当は今も、どこかにあるかもしれない、生活。記憶は少し曖昧で、むしろ、曖昧でなくてはならない。  そういう生活への憧憬と、ため息というか、鎮魂というか。  文字は実際に作って、街の中に置いて、写真一発でジャケット全部を撮るのが良いと思った。製品番号まで全部、実際にアクリルの文字が、紐でつられている。  ジャケットの形状は、なるべく社会に従順じゃない、めちゃくちゃなのが良いと思った。天上には、『魔法的』の波紋模様が回転している。  『アルペジオ』ジャケットは、セットデザイナー中村桃子さんと、写真家守本勝英さんと、デザイナーである僕の、仕事であり、妄想であり、愛であります。  持っていない人は、なくなる前にぜひ買っておいてください。傑作と思ってます。  ジャケットの仕舞い方、わからないよね。でも、そういう生活の仕舞い方も、考えてみたら、わからないもの。笑  #design #記憶
小沢健二 Ozawa Kenji(@sokakkoii)がシェアした投稿 -


以下、小沢健二さんのインスタグラムの引用です。

前作『アルペジオ』のジャケット。架空の生活。あったかもしれない、本当は今も、どこかにあるかもしれない、生活。記憶は少し曖昧で、むしろ、曖昧でなくてはならない。
そういう生活への憧憬と、ため息というか、鎮魂というか。
文字は実際に作って、街の中に置いて、写真一発でジャケット全部を撮るのが良いと思った。製品番号まで全部、実際にアクリルの文字が、紐でつられている。
ジャケットの形状は、なるべく社会に従順じゃない、めちゃくちゃなのが良いと思った。天上には、『魔法的』の波紋模様が回転している。
『アルペジオ』ジャケットは、セットデザイナー中村桃子さんと、写真家守本勝英さんと、デザイナーである僕の、仕事であり、妄想であり、愛であります。
持っていない人は、なくなる前にぜひ買っておいてください。傑作と思ってます。
ジャケットの仕舞い方、わからないよね。でも、そういう生活の仕舞い方も、考えてみたら、わからないもの。笑
#design #記憶

―小沢健二公式Instagram、2019年10月26日 


そして時は2020。

2020年に入り再開発事業の組合設立認可に向けた合意は法律の3分の2を僅かに超え、三田小山町西地区第一種再開発事業が本格的に進行しようとしています。

それに合わせてか、2020年2月下旬には、再開発予定区域の東京さぬき倶楽部が同年8月末に閉館することも決まりました。


【追記】

更に2020年4月、新型コロナウィルス感染症の流行の影響で東京さぬき倶楽部のホテル経営が困難になり、4月末日をもって閉館することになってしまいました。

2020年5月に調度品は近所の方々に配られ、現在は重く扉が閉まったまま、建物は壊されることなく佇んでいます。

2022年度には解体工事を含む工事が本格的に始まってしまうそうです。

【2022.11.11追記】


2023年1月、ついに解体工事が始まってしまうようです。
先日2022年11月4日に三田小山町を訪問したところ、既に幾つかの住宅が引っ越しを終えているようで、空き家が目立つようになってきました。
現在まさに引っ越しをしている様子のお宅もありました。


三田小山町に2件あるお豆腐屋さんのひとつ、黒沢商店さんも2022年12月末日をもって閉業されるようです。
再開発組合との交渉もうまくいかなかったようで、閉業後の見通しは立っていないようです。

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三田小山町は段階的に高層ビルへと変貌を遂げていった地域です。
まずはこの土地にあまり縁のない、古くなったマンションから高層マンションへと変えていき、周りが高層ビルになっていく姿を見て、平屋の住宅街の人びとは時代の流れだから仕方がないと思ってしまったのかも知れません。
この土地に住む方々が高齢化してしまっていることなど、様々な問題もあったのでしょう。

でもだからといって、再開発ですべてが高層ビルに代わる必要などあるのでしょうか。

すべてが真新しい高級なマンションやオフィスビルに代わってしまったら、ジェントリフィケーション(「都市の富裕化現象」)が起こってしまい、土地の価値が上がり、元々この地に住んでいた人びとが住みづらい街に代わってしまうのではないでしょうか。

すべてが同じような景観、夜も明るくて見通しが良くて、統一され過ぎた街...。
そんな街なんて、逆に住みづらくないでしょうか。


麻布十番出身の知人の話なのですが、彼には六本木ヒルズのある土地に昔から住んでいた友人がいるそうで、その友人はヒルズの再開発後に同地に建てられた高層マンションに住んでいるのですが、管理費が凄く高くなってしまい、とても住み続けられないと言っていたそうです。


再開発とは一体、誰のためのものなんでしょうね。
不動産会社がこんな一等地に平屋の住宅が立ち並ぶなんて勿体無い、高層ビルを建てて床面積を増やして富裕層や投資家、有名企業に土地を売ればお金になるからやる。
既存の住民には、お金はかからないし綺麗になるからと上手いことを言って、庭もない、地に足のつかない、これまでよりも狭い床面積の部屋に押し込み、延々と管理費を請求し続ける...。


結局再開発をしてよかったと思うのは建設業者や不動産会社であって、損をするのはその地に住んできた人たちなんじゃないでしょうか...。
そんな建物も少し時間が経てば価値が無くなっていき、数十年したら老朽化と地域の活性化を理由にまた建て替えとなってしまうでしょう。
しかも、そこに住んでいる人びとの想いとは関係のないところで話が持ち上がり、人びとはその計画に翻弄されてしまう。
それが都市や街のあるべき姿なんでしょうか。

SDGsとか多様性とか持続可能な社会なんてことが叫ばれている現代にあって、既存の街を壊して地域性を無視した全く新しい街を作ってしまう...そのことによってそこにあった暮らしが変わってしまったり、その地域で経営を続けてきた店が営業できなくなってしまったりしている。

行政や再開発事業に関わっている企業はSDGsに、『「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現』に反しているのではないでしょうか。

計画された事業を過去の視点のまま実現させていく姿勢...。
いつまでそんなことを続けていくんでしょうね。


そんなことを続けていても、都市や街もまた人が作りしもの。
いつしか本来あるべき姿へと戻っていくものです。

小沢健二さんも、次のように仰っていました。




人はいつまで欲望にまみれたバベルの塔を作り続けるのでしょうね。

注釈


1 港区によれば、「津波ハザードマップ」、「液状化マップ」、「揺れやすさマップ」は、『港区津波・液状化シミュレーション結果(平成25年3月)』をもとに作成しているそうです。「港区防災街づくり整備指針」を参照。

2 「東京讃岐会館」「東京さぬき倶楽部」については、香川県HP「第1回検討委員会資料・議事録」の「市街地再開発に伴う東京讃岐会館等県有資産利活用検討委員会」の資料を参照。

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