小沢健二『So kakkoii 宇宙 Shows』物販ロビー床面及びツアーグッズの地図やデザインについて

2022年6月29日水曜日

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この記事は、小沢健二さんの2022年6月のツアー『So kakkoii宇宙 Shows』の物販のロビーの床面に貼られた展示物及びツアーグッズの地図についての話です。
ツアーグッズのデザインについても少し触れています。

ツアー初日に物販に並んだ際の話を交えて、上記のことについて述べていきたいと思います。

※本当はライブの構成を考える上での参考になればと思い、ツアー中に書ききろうと思ったのですが、色々あって時間がかかってしまい、完成がツアー後の今になっていました...。
なので色々と加筆修正をしてきた過程、構成上分かりにくいところなどがあるかと思いますが、ご容赦下さい。
今後も追記するかもです。

はじめに

初日パシフィコ横浜公演の物販開始に至る経緯と物販スタイルについて

2022年6月3日、パシフィコ横浜にて小沢健二ツアー『So kakkoii 宇宙 Shows』の初演が行われました。

 


特別仕様の「魔法的電子回路」が販売されること、物販が15時からパシフィコ横浜のロビーで開始されること、転売防止対策としてチケットを持っている方のみが購入できること、という情報を除き、物販の事前告知は一切行われず、ご自身の公式SNSでは公表しないこと、またSNS上でハッシュタグ「#オザケンルーク」で見られるだろう、物販ロビーは撮影OKという情報だけでした。


※上のツイートは下のツイートの引用リプでしたが、消されてしまったようです...。
あと、気付いたらこの文章を書いている間に上のツイートも消えてましたね...。


これは今考えると、物販に行った人たちが「#オザケンルーク」でツイートすることで物販の情報などを共有する(ことを期待する)、という形だったようです。

福岡公演の直前、『「ハイプ」と「バズ」』というエッセイをSNSに投稿していました。


今の時代、コロナ禍もあり、アーティストによっては当日販売ではなく事前予約で購入し、事前受け取りもしくは現地受け取りといった物販の購入スタイルも確立してきていますが、小沢健二さんはそれとは真逆のスタイルをとったと言えます。

これは今までも、サブスクや配信が主流となった今日において敢えてフィジカルな形に残るCDを製作することに拘り、その上サイトやCD、ライブの衣装や物販のデザインについてご自身がデザインを制作されているということにも関係するのかも知れません。

実際に物販を手に取って見て欲しかった、とご本人も仰っていましたし、上記のエッセイから、物販を話題にし、人びとの物欲やワクワクを駆り立てる仕組みとして、誰かが仕組んだもの(ハイプ)ではなく、実際に物販を見て手に取った上で購入する人たちが自発的に情報を発信し、楽しめるよう(バズ)にしたかった、ということなのでしょう。

実際、物販会場ではブラックライトが灯されたり(宇宙空間の演出?蛍光・蓄光の効果をしめすため?)、ビート強めの70~80年代のディスコサウンドが流れたりしたことも人々を高揚させる要素として効果的でした。
それはまるでハイブランドの新作コレクションのランウェイとレセプションパーティーとが一緒になったかのようでした。

もしくは、物販の情報がほとんど明らかにされなかったことで、物販会場の現場は、物販の情報や写真を少しでも早くみんなに知らせたい、または情報や写真を誰よりも先にSNSにあげて自分のツイートをバズらせたいといった、一種の早い者勝ちのアトラクションのような様相を見せていた感もありました。

また『飛ばせ湾岸神戸』の前に関西限定グッズがあることをSNSで公開したり、大阪フェスティバルホール公演の前に大阪限定の展示があることを公開したり、過去の著書『うさぎ!3冊本』などの再販をしたり、有明ガーデンシアター公演の直前に東京限定グッズがある可能性を仄めかしたりと、公演の度に新しい情報を公開したことも、ライブに訪れる人たちを常に物販や展示に惹きつけさせるための効果としては充分過ぎるものであったと思います。

勿論、物販は先の公演で売り切れたとしてもそれはその日分の在庫が売り切れただけで、次回の公演の分は確保されているのですが、その日に用意された数には限りがあり、自分たちが欲しいものを買うために物販の列に並び、物販が始まったら売り切れる前に希望のものを買いたいという欲求もバズを後押ししたことでしょう。

さらに、物販を買った方が思い思いのスタイルで物販の服を着こなしているさまをSNS上であげていたことも、まだライブを観に行っていない方たちにとっては更に物欲を掻き立てるものであったことでしょう。


そして小沢健二さんは、こうした物販をバズらせるためのマーケティング戦略を、誰かの指示がありその通りに行ったのではなく、ご自身でアイデアを出し、意図的に使っていたものと考えられます。
こうした着想は、いったいどこから来たのでしょうか?


そう言えば、ライブの前の月の5月に発売された週刊誌『AERA』の大宮エリーさんとの対談で、小沢さんはこれに関係すると思われる大変興味深い話をしていました。

大宮さんが小沢さんに"最近読んだのはどんな論文?"と問いかけたところ、小沢さんは"「ファイナンシャリゼーション」関連が多い"と答えていました。
「お金の力が、一見お金と関係ないものにどう影響するか」という内容の論文に関心があったようです。

大宮 最近読んだのはどんな論文?
小沢 うーん、「ファイナンシャリゼーション」関連が多いですね。お金の力が、一見お金と関係がないものにどう影響するか、みたいな。

(「大宮エリーの東大ふたり同窓会 小沢健二さん 3/4」『AERA 2022年5月30日号』)

以下のリンク先にお二人の対談が掲載されています。

小沢健二×大宮エリー 東大同士の二人が語り合う、社会の締め付けの中にある「東大像」〈AERA〉

そうした論文を読んだことも、今回の物販のスタイルに反映されているのかも知れません。
具体的にどういった論文を読んだのか、個人的にはとても興味があります。

パシフィコ横浜公演物販当日


パシフィコ横浜公演の物販当日は、事前にチケットの確認があり、15時少し過ぎには先行で物販が開始されました。

物販はグッズのサンプル展示と、床面に貼られた展示とがありました。


これは横浜公演当日にレジにあった物販の写真付きリストです。
その他の公演では、限定販売や追加販売の商品がこのリストに追加されていたようです。

また、物販会場のグッズサンプルが掛けられたハンガーラックの脇には蛍光色のテープでQRコードが貼られており、そのQRコードの示すリンク先に飛ぶと以下のような各グッズのサイズチャートが見れるようになっていました。

ちなみに、このサイズチャートは各会場に貼られていましたが、限定販売や追加販売があった後も更新はされていませんでした。

Sk宇 Merch サイズチャート(Ozawa Kenji 小沢健二 ひふみよ Official Site)


※2022年5月25日、東京の有明ガーデンシアター公演の1日目の物販開始に先立って、物販の写真付きリストが公式に公開されました。

「The Official Catalog Of Sk宇 Merch」(Ozawa Kenji 小沢健二 ひふみよ Official Site)

Sk宇 Merch リスト
・「1993年のオザケン」ポロ 税込5,000円 
ミントグリーン S/M/L/XL/2XL
サックスブルー, レッド, ネイビー XS/S/M/L/XL
・ピンク刺繍ボーダーT(うさ入り) 税込5,000円 XS/S/M/L/XL

・「流動体/強気強愛」地図T 税込5,000円
ホワイト, サックスブルー XS/S/M/L/XL
・「アルペジオ/いちょう並木」地図トートバッグ
税込4,500円 ホワイト, ブラウン, ネイビー

・「回転するうさ」T
 キッズ用 税込3,500円(110/130/150)
チャコール, サックスブルー, イエロー, レッド, ラベンダー, ミントグリーン,
グリーン  
 大人用 税込4,500円(XS/S/M/L/XL)
チャコール, サックスブルー, ラベンダー
・「LIFEの屋上」赤リンガーT税込4,500円
(横浜・福岡・神戸はワンサイズXSのみ、
大阪からXS/S/L/XL展開、大阪はXXLもあった)

・「1993年のオザケン」キャップ 税込4,000円
  カーキ, コッパー, スカイブルー, チャコール, ネイビー, パティー,
ブラック, ホワイト
・「1993年のオザケン」バケットハット 税込4,000円
(S-M/L-XL)カーキ, ホワイト, ネイビー,(東京のみ)パティ

・魔法的電子回路「4、Sk宇」ピンク, グリーン 税込700円
・今からでも!ツアー公式・アドベントカレンダー 税込1,500円 関西(神戸・大阪)限定
・「LIFEの屋上」青リンガーT 税込4,500円(M/Lのみ)

東京限定
・夏の日は魔法T 税込4,500円(M/L)
  ホワイト, ホワイト/赤リンガー, ホワイト/黒リンガー
・夏の日のUFOステッカー 税込500円
大阪公演以降の過去グッズ再販 【本】
「うさぎ!」3巻本 税込4,000円
「企業的な社会、セラピー的な社会」 税込1,000円
「魔法的モノローグ台本+4+2」 税込2,200円

※ちなみに”merch(マーチ)”は merchandise(マーチャンダイズ)を略したものです。

merchandiseは「商品、製品、品物、グッズ」などの意味ですが、merch という単語は特にTV番組や映画、アニメ、キャラクター、ブランド、有名人などの「関連商品または関連グッズ」を意味します。
海外のアーティストのツアーグッズやアルバムが出たのを記念して製作されたグッズがネット販売される際にこのmerchという言葉を近年よく目にします。

ツアー千秋楽後に3日間限定で登場したカスタムショップについて            


ツアーの千秋楽が終わった日の2022年6月26日22:30頃、小沢さんのツイートにより3日間限定のカスタムショップが開かれることが告知されました。


カスタム可能なグッズは「1993年のオザケン」ポロシャツ、キャップ、バケットハットでした。
ボディと刺繍の色は物販の色よりも限定されていますが、組み合わせを自由に選べました。

・「1993年のオザケン」ポロシャツ 税込5,000円 
  バックプリント(高い塔と東京恋愛カーブ)の色はボディと同系色の蛍光
     ボディ:ミントグリーン (L/XL), 
        ネイビー, レッド (XS/S/M/L/XL/2XL), 
        サックスブルー (XS/S/M/L/XL)
刺繍:蛍光ピンク, 蛍光ブルー, 蛍光オレンジ, 蛍光グリーン
・「1993年のオザケン」キャップ 税込4,000円
   ボディ:パティー, カーキ, ホワイト, ブラック
     刺繍:蛍光ピンク, 蛍光ブルー, 蛍光オレンジ, 蛍光グリーン, 蛍光パープル, 蛍光イエロー, 白

・「1993年のオザケン」バケットハット 税込4,000円
     ボディ (S-M/L-XL):パティ, カーキ, ホワイト
     刺繍:蛍光ピンク, 蛍光ブルー, 蛍光オレンジ, 蛍光グリーン, 蛍光パープル, 蛍光イエロー, 白

カスタムショップに紐づけられていたお手紙によると、物販タグは「ピンクのボディに銀のスクラッチ面の予定」とのこと。

私も身につけたことがなく物販では躊躇していたバケットハットを購入しました。
到着は約2か月後の8月25日前後。
届くのが楽しみです。

余談:横浜の物販の状況と以降の公演で状況が改善された点について

ちなみに余談なのですが、横浜の物販の状況と以降の公演で状況が改善された点について。

横浜ではグッズのサンプル展示のすぐそばに床面展示が置かれていたため、物販のサンプルを見たい方が足元の床面の展示を踏んだりずらしたりしてしまうということが起こっていて、スタッフの方が展示のそばに立ち、しばしば踏まないように注意喚起をしたり、展示ポスターのずれを直したりしていました。
また、物販に入る人たちを制限せずに次々と送り出していたため、物販会場が人でごった返し、カオスな状況になっていました。

その辺りは以降の会場では改善され、物販サンプル展示と床面の展示とを空間的に分け、物販のサンプルを見る空間→物販レジ→床面展示という動線になり、床面展示をゆっくりと観れるような空間づくりとなっていました。




実は横浜ライブ後の小沢健二さんのネタバレ可の投稿のコメントに、私は物販の状況と改善して欲しい点について幾つか具体的に書かせて頂いたのですが、ご本人からいいねを頂いたので、それを読んで下さったのではないかと思います。

@qroocklyn 物販、早く並びましたがグッズを見させて貰うこともなくスタッフさんに先にレジに通されて、現物を見ていないので飾ってある方に行かざるを得なくて、戻ったらまたレジの列に並ばされて凄くまどろっこしい感じでした。先に見た人が優先でそのまま戻れるレーンなどあっても良いのでは...と思いました。そうでないとグッズの会場が開く前に入り口に早く並ぶ意味って何だったのか...と思ってしまいました。この辺りの案内や動線などは他の会場では改善して頂けると有り難いです。
また、床のポスター、上に被せてある透明シートが小さくてポスター全体に被ってないため、歩くとずれまくってスタッフさんが毎回ズレを直していたのも気になりました。全部被るやつにするなどズレない工夫も必要だと思います。
また、写真を撮ろうにも透明なシートが照明に反射して上手く撮れませんでした。せめて上に天井の照明を和らげる何かがあると反射の映りが無くなり良いのかな、と思いました。 

ーInstagram 小沢健二 @sokakkoii 2022年6月3日投稿の私のコメント欄

物販どうでしたか?ということを横浜公演後にご本人も(確かインスタストーリー上で)仰っていましたし、バズとは言っても何か参加する側がやりにくいと感じたところがないかどうかというところも含めて大変気にされていたのではないかな、と思いました。

読んで頂けるかどうかも分からないけど、でも改善されたら以後の公演で物販に並ぶ方もやりやすくなるだろうと思い、思い切って書いてみました。
スタッフさんも物販会場で起こった全ての状況を把握していないでしょうし、実際客として参加した立場じゃないと分からない点もあると思いますし...。
好意的な内容ではないので書いても良いかなとか、色んなことを気にしながら書いたのですが...改善されたことでホッとしました。
不安ではあったけど、こういうことはちゃんと受け取ってくれるはず、と信じていたので、届いて凄く嬉しかったです。

また、福岡サンパレスホール公演以降は、物販と床面の展示を分けること以外に、展示を踏まない様に床面展示ポスターの手前に貼られた蛍光テープの上にレゴブロックが置かれていました。
分かる人には分かる仕様です 笑


当日はTwitterの「#オザケンルーク」で床面展示を踏んでスタッフさんが直したりしていることなど、物販の状況を多くの方が呟いていました。
こうした声を耳にし、その結果、以後の物販のスタイルに反映されたのかな...という気がします。


ツアーで大変な中、こうした声をちゃんと拾って下さりスタッフの方々に届け、そして次回から即座に反映し改善して頂ける(しかも思わずにんまりしてしまうレゴシステムを加えたりするところなどはさすが!)小沢健二さんは本当に凄いな、と思います。

物販ロビーの床面に貼ってあったポスターについて

各会場の物販ロビーの床面に貼られたポスター展示にはエッセイや地図などがあり、ライブで演奏する曲と関連があるようでした。

物販ロビーの床面に貼ってあったポスターは次の6種類でした。

・『So kakkoii 宇宙 Shows』関連の東京の地図
・『アルペジオ/いちょう並木』歌詞地図
・『流動体について/強気強愛』歌詞地図
・「今からでも!ツアー公式・アドベントカレンダー」のデザインポスター
・ ツアーグッズに関するエッセイ付きのポスター
・ 魔法的電子回路「4、Sk宇」とスクラッチカードについてのポスター

※追記:大阪公演(フェスティバルホール)限定の展示がありました。

・大阪のフェスティバルホール周辺の地図と水系(エッセイ付き)

このうち、地図の記載があるのはアドベントカレンダーとエッセイ付きのポスター以外の4つ(大阪限定を含めると5つ)でした。

勿論、アドベントカレンダーの内容もエッセイ付きのポスターの内容も今回のツアーと関係が深いものと思われます。


また、今回の歌詞地図の経緯として触れておいた方が良いこととしては、昨年2021年12月に発売された『運命、というかUFOに(ドゥイ、ドゥイ)』のシングルCDについてでしょう。


この曲のCD盤面およびMVには星座の描かれたニューヨークの地図が出てきており、それらの星の場所が実際のマンションや店の場所を示していることが小沢健二さん自身により明らかにされました。

この地図に描かれた星座というものが今回の床面展示やグッズのデザインにも引き継がれているものと思われます。


小沢健二『Sokakkoii宇宙 Shows』物販会場の床面に貼ってあった地図に書いてあったものをGoogle My Mapに記載してみました。
 
小沢健二『Sokakkoii宇宙 Shows』物販ロビー床面にあった地図に書いてあった場所

以下にそれぞれについて記述します。

『So kakkoii 宇宙 Shows』の曲たちに関連する東京の地図

この地図についてはタイトルのようなものは一切ないのですが、便宜的に「『So kakkoii 宇宙 Shows』の曲たちに関連する東京の地図」とします。

『So kakkoii 宇宙 Shows』の曲たちに関連する東京の地図」の写真
(2022.6.3. パシフィコ横浜での物販展示より)


このポスターには2つの地図が描かれています。

1つはポスターの右側の地図で、東京湾や古川とその周辺の池などが青く描かれており、その周辺に位置する小沢健二さんの曲に関連する場所がピンクのラインに白字で記載されています。

ピンクのリボンの文字(右側の地図)

六本木、天現寺橋、古川橋、二の橋、一の橋、赤羽橋、アルペジオ界隈、慶応大、高塔、増上寺、芝丸山古墳(5世紀)、東京恋愛カーブ、芝浦、浜離宮

青い文字

渋谷川、有栖川公園の池、毛利庭園の池、イタリア大使館の池、芝公園の川

青バックに白抜きの文字(右側の地図)

東京湾


天現寺橋、古川橋、二の橋、一の橋、赤羽橋は古川にかかる橋で、古川のモノローグで出てきました。

アルペジオ界隈は『アルペジオ』の変形ジャケットを撮影した場所として登場しています。

東京恋愛カーブは『東京恋愛専科・または恋は言ってみりゃボディー・ブロー』の歌詞に登場する「東京タワーを過ぎる 急カーブを曲がり」の急カーブのことです。
ライブの古川のモノローグでも触れられていましたが、首都高速は天現寺橋辺りから古川沿いを走っていて、芝公園辺りで川がカーブを描いているため、首都高速も急カーブを描いて走っています。


東京恋愛カーブは『東京恋愛専科』のMVは首都高速を走っており、東京恋愛カーブも登場しています。
MVの50秒あたり、東京タワーが出た後にカメラが進行方向を向くのですが、その先の道がカーブを描いています。
このカーブが東京恋愛カーブです。


高塔、増上寺、芝丸山古墳(5世紀)は2020年9月12日のツイートのエッセイでともに触れられていました。


ただし、分からない場所もあります。
六本木は東京の中心として古川のモノローグに出てきましたが、慶応大、芝浦、浜離宮はモノローグには出てきておらず、またライブの曲との関連性がいまいちはっきりしません。
有栖川公園の池、毛利庭園の池、イタリア大使館の池、芝公園の川も同様です。


とはいえ、ライブのセットリストを一通り聴くと、これらの殆どの場所が「ライブの音」とつながっていることは間違いないでしょう。


そしてもう一つはポスターの左側の地図で、青い線で古川沿いのより簡略化された地図が描かれています。
この地図はツアーグッズの服の裏に印刷されているタグや服の背中などにデザインとして描かれていますし、またグッズに付属のスクラッチカードにも描かれています。


ピンクのリボンの文字(左側の地図)

アルペジオ界隈、地図記号「高塔」、東京恋愛カーブ


ちなみに地図記号「高塔」についてなのですが、これは文字通り地図記号で「高塔」を示す記号です。
以下は国土地理院による地図記号「高塔」についての説明のリンクです。

地図記号「高塔」(国土地理院HPより)


この形は「4本の脚がある東京タワーなどを上から見た形」とのこと。

若干形が丸いかな、と思うのですが、これは恐らくIllustratorで地図記号をパスで描いた時に丸くなってしまったのではないかと思います。

でも、この形が何だか手裏剣や輝く星みたいで、『東京の街が奏でる』や『春の空気に虹をかけ』のタイトルロゴ、または『高い塔』の歌詞「その光線は 天上へ昇る 幻」を思い起こさせる感じでまた良いな、と思います。


ちなみに、高塔こと東京タワーのある場所は、先述の2020年9月12日のツイートのエッセイでは「古代の未来図が姿を変えていく、その中心地」だと書かれています。

その中心地を流れる古川の周辺では丸山古墳や増上寺が築かれ、古川に沿って首都高速が走り東京恋愛カーブとして歌われ、そしてアルペジオ界隈の古い街並みはもうすぐ大規模な再開発によりタワーマンションへと変わろうとしている...。


そう考えると、このデザインは東京の中心地としての高い塔周辺や東京の中心を流れる古川を描いているとともに、『高い塔』の歌詞にある「古代の未来図は姿を変え続ける」の歌詞をデザインしたものである、と言えるのかもしれません。


今回のライブの古川の朗読で『1,000年前、まだ東京が森だった頃、古川は「ああ、未来では私の形で街ができてゆくのだなあ」と思いながら流れていたのかもしれない』と言っていた小沢さんの言葉が思い出されます。

『アルペジオ』『いちょう並木のセレナーデ』歌詞地図

『アルペジオ』『いちょう並木のセレナーデ』歌詞地図の写真
(2022.6.3. パシフィコ横浜での物販展示より)


この地図にはアルペジオの手書きの歌詞とともに以下の文章が添えられていました。

「駒場東大から富ヶ谷を通り、
原宿の友人アトリエへ。
麻布のアルペジオ界隈と晴海。
時間が交差しています。」

(ツアーグッズ『アルペジオ』『いちょう並木のセレナーデ』歌詞地図に記載の文章より)

地図は左上が「麻布」、左下が「駒場東大」、真ん中が「明治神宮/原宿」、右下が「晴海」、右上が「神宮外苑」
地図に記載の文字:麻布、駒場東大、明治神宮/原宿、渋谷駅、晴海、神宮外苑

歌詞地図ということと、のある場所を考えると、『アルペジオ』の歌詞の舞台と『いちょう並木』の歌詞の舞台とを星座として結んでいるようです。

なお、この地図はツアーグッズ『「アルペジオ/いちょう並木」歌詞地図トートバッグ』にもプリントされています。

「アルペジオ/いちょう並木」歌詞地図の星座の星の位置について            


以下にの位置について記述します。

(真ん中の○(赤丸)がアルペジオのシングルCDのジャケット写真が撮影された場所。
ほぼ直角に曲がる青線は古川)


(アルペジオの歌詞)

アルペジオ界隈                                  


アルペジオ界隈は、『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』シングルジャケットが撮影された場所です。

この辺り一帯はもうすぐ『三田小山町西地区第一種再開発事業』という再開発計画により高層マンションに変わってしまいます。

アルペジオ界隈の再開発については以前ツイートをし、また以下の当ブログの記事にもまとめました。

東京と、音楽と、私たちと。小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のジャケット写真の場所について。

アルペジオ界隈には渋谷を流れる渋谷川の下流、古川が流れています。
渋谷川は北から流れる笄川(こうがいがわ)との合流地点から古川と名前を変えます。
笄川は暗渠で現在は外苑西通り(都道418号線)が走っていますが、ここは渋谷区と港区の区境となっています。
天現寺橋は近くに天現寺というお寺があることに由来します。


天現寺の南から古川に沿って高速道路の高架が走っています。

渋谷川・古川沿いの交通網

また古川沿いには古い街並みが多いこともあり、街灯も少なく暗い一帯になっています。

渋谷川や古川は深いコンクリートの壁が覆う大きな溝のような川となっており、川には都市の汚れた水が流れ落ち、下流に行くに従い川の水は汚れていきます。

しかし古川はかつては清らかな川で、辺り一帯は田園風景が広がっていたそうです。

アルペジオ界隈には築後久留米藩有馬家の大名屋敷がありました。
有馬家は代々増上寺の「火の御番」を引き受けていて、屋敷内に高さ約9メートルの火の見やぐらがあり名所となっていました。
また屋敷内にある水天宮は江戸っ子の信仰が篤く、有馬家の屋敷が開放される毎月5日には多くの人びとが参拝するほど人気の観光地だったようです。

ちなみに水天宮はその後1872年には青山へ、翌年には日本橋蛎殻町(現日本橋人形町)へと移転しました(これが現「水天宮前駅」の水天宮です)。

古川沿い、特に赤羽橋一帯は江戸時代には風光明媚な名所として知られていました。

例えば、江戸の地誌を描いた江戸時代前期の仮名草子『紫の一本』には以下のような記述があります。

麻布の古川は芝山内の裏手近くその名も赤羽川と名付けられるようになると、山内の樹木と五重塔の聳ゆる麓を巡って舟楫の便を与うるのみか、紅葉の頃は四条派の絵にあるような景色を見せる。

―戸田茂睡『紫の一本』より

江戸市中へ飲料水を供給していた江戸六上水の一つ、玉川上水の落とし水もあり、明治初期の古川の流れは豊かだったそうで、川沿いでは豊富な水量を活かし水車業が営まれていたそうです。
しかし1901年に今の高層ビルが立ち並ぶ西新宿(パークハイアット東京のある場所)に淀橋浄水場が完成したことで玉川上水の落とし水が無くなり、古川の水量が減ったことで衰退していったとのことです。

永井荷風『日和下駄』によると、大正時代には古川は既に「その名のみ美しき溝渠、もしくは下水」と評される程汚れた川だったようです。

東京の水を論ずるに当ってまずこれを区別して見るに、第一は品川の海湾、第二は隅田川中川六郷川の如き天然の河流、第三は小石川の江戸川、神田の神田川、王子の音無川の如き細流、第四は本所深川日本橋京橋下谷や浅草等市中繁華の町に通ずる純然たる運河、第五は芝の桜川、根津の藍染川、麻布の古川、下谷の忍川の如きその名のみ美しき溝渠、もしくは下水、第六は江戸城を取巻く幾重の濠、第七は不忍池、角筈十二社の如き池である。井戸は江戸時代にあっては三宅坂側の桜ヶ井、清水谷の柳の井い、湯島の天神の御福の井の如き、古来江戸名所の中うちに数えられたものが多かったが、東京になってから全く世人に忘れられ所在の地さえ大抵は不明となった。

―永井荷風『日和下駄』「第六 水 附渡船」より

また『日和下駄』によると、広尾の古川橋から三之橋の一帯は大正時代には貧しい人々が住む一帯だったようです。
また古川は大雨が降ると氾濫し、家々が浸水してしまうような川だったようです。

溝川が貧民窟に調和する光景の中うち、その最も悲惨なる一例を挙げれば麻布の古川橋から三之橋に至る間の川筋であろう。ぶりき板の破片や腐った屋根板で葺ふいたあばら家やは数町に渡って、左右から濁水を挟さしはさんで互にその傾いた廂を向い合せている。春秋時候の変り目に降りつづく大雨の度ごとに、芝と麻布の高台から滝のように落ちて来る濁水は忽ち両岸に氾濫して、あばら家の腐った土台からやがては破れた畳までを浸ひたしてしまう。雨が霽(は)れると水に濡れた家具や夜具蒲団を初め、何とも知れぬ汚らしい襤褸(ぼろ)の数々は旗か幟のように両岸の屋根や窓の上に曝(さら)し出される。そして真黒な裸体の男や、腰巻一つの汚い女房や、または子供を背負った児娘(こむすめ)までが笊(ざる)や籠や桶を持って濁流の中うちに入りつ乱れつ富裕な屋敷の池から流れて来る雑魚を捕えようと急(あせ)っている有様、通りがかりの橋の上から眺めやると、雨あがりの晴れた空と日光の下もとに、或時はかえって一種の壮観を呈している事がある。かかる揚合に看取せられる壮観は、丁度軍隊の整列もしくは舞台における並大名を見る時と同様で一つ一つに離して見れば極めて平凡なものも集合して一団をなす時には、此処に思いがけない美麗と威厳とが形造られる。古川橋から眺める大雨の後の貧家の光景の如きもやはりこの一例であろう。

―永井荷風『日和下駄』「第六 水 附渡船」より

そうした状況を受け、大正時代後期には治水を目的とした河川改修工事が始まりました。
1931年には渋谷川・古川のほぼすべての区間で護岸が完成したそうです。

アルペジオ界隈の町会である三田一丁目町会がその歴史をまとめていましたので以下にリンクを貼っておきます。

三田地区の歴史

高速道路の建設を機にそれらは一掃され、現在はコンクリートに囲まれ、川辺に行くとドブのような臭いがする都市の汚れが注ぐ汚れた川になっています。

実はアルペジオのジャケット写真の奥にはその暗く汚れた川である古川が流れています。
ジャケット写真の奥の上の方に左右に高架が走っていますが、それが古川に沿って走る高速道路です。

「幾千万も灯る都市の明かりが生み出す闇に隠れた汚れた川と 汚れた僕らと」
(小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』より)

よって、この冒頭の歌詞が示す場所はアルペジオ界隈そのものであると思われます。

なお、ライブ中の古川の朗読でも、この歌詞の部分が古川の麻布界隈で、『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』シングルCDの変形ジャケットの写真をこの辺りで撮影したとご本人が仰っていました。

東京大学駒場キャンパスの教養学部図書館(現存せず)                



(真ん中の○が小沢健二さんが在学していた当時の駒場の教養学部図書館の位置)

地図には駒場東大とありますが、地図の位置的には現在の駒場図書館ではなく、少し西側を指しているので、小沢さんが東大に在学していた当時に「教養学部図書館」があった場所だと思われます。

この辺りのことは、2017年12月にアルペジオの歌詞が小沢健二さんの公式サイト「ひふみよ」に公開された当時、私が現地に行って確認しました。
その時のツイートは以下の通りです。


ちなみに今の駒場図書館が出来たのは2002年10月です。
それまでは駒場の図書館は「教養学部図書館」を指していました。
教養学部図書館は、現在のアドミニストレーション棟の位置にあったようです。
現在の駒場図書館は、この教養学部図書館と8号館図書室及び同分室の図書を統合して出来たようです。



ご本人のお話では、東大在学中は駒場の図書館で作詞もされていて、大学を卒業するまでずっといた(「東大ふたり同窓会 2/4」『AERA』2022年5月23日号より)とのことですので、ここで「天使たちのシーン」などの数々の名曲が生まれたということのようです。

ただ、「時間が交差しています」と本人も書いている通り、90年代と現在とが交差しているということなのかもしれません。

今回のツアーグッズに『犬は吠えるがキャラバンは進む』のジャケット裏の小沢健二さんのシルエットを描いた「1993年のオザケン」の刺繍があるのもこの辺りと関係しているものと思われます。

なお、現在のアドミニストレーション棟のそばにある駒場博物館は、東京大学教養学部の前身である旧制第一高等学校の図書館として昭和10年に建てられたものです。
東大にはこうした歴史ある建物がある一方で、駒場図書館のような比較的新しい建物も存在しています。

富ヶ谷(富ヶ谷しだれ桜公園?)                         



(真ん中の○が歌詞地図の示す富ヶ谷の場所。位置的には富ヶ谷しだれ桜公園辺りを指す)

ここは特定の場所なのかどうかは不明なのですが、この地図ポスターの文章にあるように、駒場東大から「富ヶ谷を通り」とある富ヶ谷の辺りを指しているのだと思います。

東大駒場キャンパスから原宿に向かう際に通る南北に走る山手通りは、現在は道路を拡張し、また地下には首都高速道路中央環状線の山手トンネル(道路トンネルとしてはなんと日本最長!)が走っているため、整備前にあった道路沿いの店舗や住宅は無くなっています。そのため、現在の山手通りは90年代当時とはかなり様相が変わっている筈です。

「富ヶ谷」は地名に谷と付くだけあって起伏のある土地です。

富ヶ谷は古くは「留貝」という地名で呼ばれていました。
富ヶ谷の中で富ヶ谷1丁目から代々木公園駅にかけての低地部分は地下10mまでに渡る貝の化石層だったことによるものだそうです。
この「留貝」が「富ヶ谷」となったそうです。

富ヶ谷の北側に位置する「代々木八幡宮」の境内には4500年前の縄文時代の遺跡「代々木八幡遺跡」があり、竪穴住居が復元されています。

また、境内には円墳とされる古墳が遺跡として登録されています。

のある辺りは、位置的には現在の「富ヶ谷しだれ桜公園」辺りでしょうか。

ここは2022年3月28日に出来たばかりの新しい公園です。

この地には料亭「初波奈」があったそうですが、その跡地に「フォレセーヌ渋谷富ヶ谷」という高級低層マンションとこの公園が作られたようです。

料亭「初波奈」は元々この地にあった実業家の邸宅を戦前に買い取りできた料亭でした。
高浜虚子の句に残る立派な庭や見事な枝ぶりの枝垂桜があった「初波奈」は、政財界の方々の会合や将棋の名人戦の舞台となった場所でした。

その後1982(昭和57)年に料亭は移転。料亭の建物は取り壊され、料亭の門や囲い、庭の木々を残して敷地内に「代々木テラスアパートメント」という外国人向けのマンションが1980年に建てられていたそうです。

現在のマンション「フォレセーヌ渋谷富ヶ谷」はヴィンテージ化したそのマンションを料亭の門や囲い、土留め壁とともに取り壊し新たに建てられたもののようです。

なお、デベロッパーは森ビルの関連会社「森トラストグループ(株)フォレセーヌ」でした。

参考1:フォレセーヌ渋谷富ヶ谷 デザイン

参考2:渋谷区富ヶ谷に『しだれ桜公園』が誕生 - 結のties Blog


ビラ・ビアンカ                                  



(真ん中の○がビラ・ビアンカ)

「ビラ・ビアンカ」は岡崎京子さんが1994年夏からアトリエにしていたデザイナーズ・マンションです。

(岡崎京子 2015『岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ』平凡社 より)
  ※2015年に世田谷文学館で行われた「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」の図録

ここまでの場所が『アルペジオ』の以下の歌詞ですね。
「駒場図書館を後に君が描く原宿へ行く」

(ここからいちょう並木の歌詞に繋がる)

晴海埠頭                                    



(真ん中の○が晴海埠頭。その南東にある○は有明ガーデンシアター)
「晴海埠頭」は『いちょう並木のセレナーデ』の歌詞に登場する場所です。

「晴海埠頭を船が出てゆくと 君はずっと眺めていたよ
そして過ぎて行く日々を ふみしめて僕らはゆく」
(小沢健二『いちょう並木のセレナーデ』の歌詞より)

晴海埠頭のある晴海という場所は昨年2021年夏に開催された「東京オリンピック」で選手村となった場所で、大会終了後は選手村の建物は「HARUMI FLAG」というマンションや小中学校、保育施設や商業施設などが立ち並ぶ区域として2024年春より再活用される予定です。

【公式】HARUMI FLAG|毎日、感動できる眺め。

また、隣接する晴海ふ頭公園は現在整備されており、2022年10月末に開業する「ConnecT HARUMI」という商業施設が併設され、新たな観光スポットとして注目されているようです。

ちなみに、この「HARUMI FLAG」のマンションは2020年秋に公開された『ジオラマボーイ・パノラマガール』(岡崎京子)で主人公たちが忍び込んだマンションです。


「晴海埠頭」のある晴海という場所は1931年に埋立てが完成した埋立地です。
当初は「四号地」と呼ばれていたそうですが、「いつも晴れた海を望む」という希望が込められ「晴海」の名が付けられました。

完成直後の晴海の土地利用については、「東京市庁舎」の建設計画(1933年)や「紀元二千六百年記念日本万国博覧会」の開催(1940年)が決まっていましたが、いずれも反対運動や戦争などにより幻となり、戦時中は陸海軍の倉庫や資材置き場として利用されていました。

ちなみに「日本万国博覧会」の計画では、現在お台場の一角にある菱形の台場址(品川第三台場 砲台跡)は台場公園として、当時すでに完成していた豊洲と帯状の堤防で繋がる計画だったようです。

戦後、晴海は埠頭として整備され、1955年に「晴海埠頭」が開業しました。

また、1957年には日本住宅公団による「晴海団地」が建設されました。「晴海団地」は1996年から再開発が行われ、現在はタワーマンションやオフィス、商業施設などがある「晴海アイランド トリトンスクエア」となっています。

1959年には晴海に「東京国際見本市会場」が建設され、「東京国際見本市」や「東京モーターショー」「コミックマーケット」などが開催されたそうです。「東京国際見本市会場」は「東京国際展示場」(通称「東京ビッグサイト」)の完成に伴い、1996年に閉場しました。

1991年には東京港の開港50周年を記念して「晴海客船ターミナル」が完成し、東京の海の玄関口として国内外の豪華客船が晴海ふ頭に接岸するようになったそうです。

2020年9月10日、江東区青海に「東京国際クルーズターミナル」が開業したことを受け「晴海客船ターミナル」は廃止が決定、残念ながら2022年2月22日をもって閉館となりました。


5:晴海の歴史 ~ 東京湾岸 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産


神宮外苑いちょう並木                              


「神宮外苑いちょう並木」は『いちょう並木のセレナーデ』の歌詞でお馴染みの場所です。

(真ん中の○が神宮外苑いちょう並木)
「きっと彼女は涙をこらえて僕のことなど思うだろ
 いつかはじめて出会ったいちょう並木の下から」
(小沢健二『いちょう並木のセレナーデ』の歌詞より)

『いちょう並木のセレナーデ』の場所は小沢健二さんの公式サイト「ひふみよ」の読み物「東京の街が奏でる」の文中に『「あの頃の僕」にとっての東京』を記した緑の地図のリンクが貼ってあるのですが、そこにいちょう並木の記載があります。

場所的に新宿の東側ということから神宮外苑のいちょう並木であることが推察はされましたが、今回より詳細な地図により場所が明示されたことは大変興味深いです。

東京の街が奏でる(小沢健二公式サイト「ひふみよ」)

緑の地図(小沢健二公式サイト「ひふみよ」より)

『流動体について』『強い気持ち・強い愛』歌詞地図

『流動体について』『強い気持ち・強い愛』歌詞地図の写真
(2022.6.3. パシフィコ横浜での物販展示より)

『流動体について』『強い気持ち・強い愛』歌詞地図には、『流動体について』『強い気持ち・強い愛』の歌詞の一部と、地図が2箇所書かれています。

地図は左側には複数の地図が重なったものが、右側には2つの異なる時期の羽田の空撮写真が描かれています。

なお、展示ポスターの左側の地図は、ツアーグッズ『「流動体/強気強愛」歌詞地図T』にも描かれています。

ちなみにこの2曲は、どちらも歌詞に「蜃気楼」が含まれています。

以下に地図に記載されていたそれぞれの歌詞の箇所を記載します。

『流動体について』の手書きの歌詞                          


「無限の海は広く深くでもそれほどの怖さはない
 宇宙の中で良いことを決意する時に」

『強い気持ち・強い愛』の手書きの歌詞                        


「空へ高く照らし出された高層ビルのすぐ下 ほらあっというまの...(印刷が切れている)
 美しい空 響きあう空 誰も見たことのない日々をギューツっと...(印刷が切れている)
 ああ街は深く僕らを抱く!」

「circa 1945」「circa 1974」の羽田の空撮写真と黒いリボンの文字          


”circa”とは英語で「およそ」という意味です。
「1945年頃」「1974年頃」ということになるでしょうか。
ここには以下の文字が記載されていました。

黒いリボンの文字

「1945年、1975年頃の空撮写真では、現在の羽田にまだ海がある。」

つい50年程前まで、羽田には海があったことが分かります。

2019年に放送されたNHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』を観た方は憶えているかと思いますが、羽田はかつては広い浜辺(干拓地)のある海がありました。

『いだてん』の第5話で語られたように、羽田では1911年、翌1912年に開催されるストックホルムオリンピックに出場する選手を決める予選会が羽田運動場を起点に行われ、金栗四三がマラソンの日本代表選手に選ばれました。

いだてん・金栗四三「驚異の世界新記録!オリンピック予選会」

羽田運動場は1909年に羽田沖合の干拓地を利用して京浜電気鉄道が作ったものです。
羽田の干拓地は運動場の他にも様々なレジャー施設が作られ、春には潮干狩り、夏は海水浴場として、また温泉地として様々なレジャーが楽しめる場所として賑わっていました。
羽田運動場は1938年に羽田飛行場の拡張用地となるまで存在したそうです。

『いだてん』でも描かれていたように、明治以降、羽田の一帯は穴守稲荷神社の門前町として栄えていました。
また、周囲は漁場として、また海苔の産地として盛んでした。

日本一の海苔生産地はどこへいったのか?(昭和3年1月31日、羽田、大森、新井宿、大井の4町に「京浜運河の開削と埋め立て造成」の賛否が問われる)- 今日の馬込文学/馬込文学マラソン

そうした羽田に飛行場が建設されたのは1932年で、「東京飛行場」として開港しました。

ところが1945年、終戦とともに東京飛行場周辺は米軍により接収され、地元住民は48時間以内に強制退去を言い渡されてしまいます。

米軍による整地と埋立地の造成後、羽田一帯は広大な滑走路を有する米軍管轄の飛行場「羽田陸軍航空基地」として整備されました。
米軍の駐留により、羽田空港は日本だけでなく東アジアの玄関口としても重要な役割を担うようになっていきました。

1952年に羽田空港が米軍から一部返還され、1958年に全面返還されると、次第に空の玄関口としての羽田空港の役割は大きくなっていきました。
また、プロペラ機から大型ジェット機に移行するようになると、滑走路の延長や駐機場の拡張が必要となっていきました。
羽田空港拡張のため海は埋め立てられ、かつてあった砂浜と海はなくなってしまいました。

羽田空港の歴史については以下のサイトによくまとめられているので、興味のある方は読んでみて下さい。

企画展 羽田空港半世紀の歴史(20世紀時刻表歴史館)

ちなみに、戦前には1940年に開催が予定されていた東京オリンピックのために、羽田を上回る規模の飛行場の建設工事が、現在の夢の島(江東区・現JR新木場駅辺り)で進められていました。
しかし日中戦争の影響で工事が中断され、その後計画は廃止されました。

もしこの新空港建設計画が進んでいたとしたら、現在の羽田空港や羽田周辺も今とは様子が異なっていたでしょうし、また新木場一帯、果ては東京湾岸の様相も今とは全く異なっていたかも知れませんね。

地図中のピンクのリボンの文字                            


地図中にはピンクのリボンの中に白抜きで書かれた文字が幾つかありました。
その文字は以下の通りでした。

ピンクのリボンの文字

(左から星座のラインに沿って)
都庁の影、新宿高層ビル群、新宿駅、新宿御苑(古川の水源)、大田区、川崎市、羽田空港、品川駅、港区、晴海、有明

ちなみに、物販のタグによると、これらの地図のデザインは国土地理院地図の各年代別空撮写真を基に作成しているとのことでした。
以下のリンク先からそれぞれの年代の空撮写真を見ることができます。

地理院地図 / GSI Maps|国土地理院

※なお、都庁の影が写っている写真のところの年代は2007年となっていますが、上のリンク先の国土地理院による空撮写真のサイトをみると、2000年代撮影の空撮写真は2008年までがなく、あるのは2009年からのようです。
また、デザインに使用した空撮写真が2009年のものと同じことから、この写真は2009年の写真だと思われます。
2007年と間違って記載してしまったのか、それとも2007年という年に何か意味があるのでしょうか?


なお、空撮写真をグッズや展示に使用したりするのは著作権などの問題は大丈夫なのかな?と思ったのですが、その点については問題ないようです。

国土地理院の地図は、以下のページや利用手続きフローによると、「Tシャツ」や「CD」など「デザインとして使用し、地図としての利用を想定していない」場合や「博物館等における展示物として利用」する場合は、出典を記載する必要はありますが、特に申請は要らないようです。

利用手続フローをみるとQ2もしくはQ4-1で「NO」となり申請不要、出典明示で利用可能となるようですね。


「流動体/強気強愛」歌詞地図上の星座の星の位置について

これについては、前回の当ブログの記事『小沢健二『So kakkoii 宇宙 Shows』電子回路のシールの地図と星座の場所について』で記載しましたが、この地図を見て幾つか違っていたことが分かりましたので、おさらいの意味も含めて以下に記します。

星座の星の位置(地図の右から左へ)                        


有明ガーデンシアター                               


(真ん中の〇が有明ガーデンシアター)

地図上は白く塗りつぶされ見えませんが、位置的に有明ガーデンシアターだと思われます。
有明ガーデンシアターはご存知の通り今回のツアーの最終公演の場所です。
2020年6月17日に開館した比較的新しい劇場です。

ところが、歌詞地図と書いていながら有明は「流動体/強気強愛」の歌詞には入っていません。

しかし、小沢さんは今回のツアーに関して有明ガーデンシアターに対する思いを2年前から語っていましたし、今回ガーデンでのMCでガーデンシアターができる前からずっとかかわってきたというようなことを小沢さんがおっしゃっていたことから、ガーデンに対する想いはかなり強いものと考えられます。
もしかしたら、ガーデンの存在そのものが今回のツアーの構想にも強く影響していたのかもしれません。



或いはこの場所は、新たに街が作られていく(まさに「古代の未来図は姿を変え続ける」場所としての)有明そのものを指しているのかも知れません。

東京タワー                                    



(東京タワーから麻布周辺。地図の真ん中北に東京タワーが、西の方の○がクチーナヒラタ。青い線が古川。)

「流動体/強気強愛」歌詞地図で東京タワーを記す意味については、東京を象徴するもの、アルバム『LIFE』を象徴するものとして東京タワーがあるから、ということのような気がします。

また、『強い気持ち・強い愛』は当時の小沢健二さんのすべてをぶちこんだ曲、というようなことを2020年11月15日の筒美京平さんへの追悼のツイートでも述べていましたし、当時「住んでいた東京」の象徴として東京タワーを選んだのかもしれません。

『流動体について』に関しても、『ぼくらが旅に出る理由』の歌詞が頭をよぎりますし、90年代、とりわけ『LIFE』や『強い気持ち・強い愛』の音とのつながりを強く感じることから、東京タワーはこの地図にはなくてはならない存在だったのでしょう。

クチーナヒラタ(麻布十番)                           

「クチーナヒラタ」は『強い気持ち・強い愛』を書いていた1990年代、小沢健二さんが同曲の共同作曲者である筒美京平さんと待ち合わせをしてワインを飲んでいた場所です。

筒美京平さんと飲食を供にしながら同曲が出来ていったと以前ツイートで書いてありましたので、この曲にとっては欠かせない場所なのだと思われます。

この辺りのことは2020年11月15日のご本人のツイートに記してありますので、未読の方は是非読んでみて下さい。



この場所を今回この地図に載せたということが、2020年に逝去された筒美京平さんへの想いの強さやお二人の関係の深さをより感じますし、このライブで『強い気持ち・強い愛』を歌うことの必然性について考えさせられます。
そしてまさにこの曲名がそうした想いを表しているのだと思いました。

もしもCOVID-19のパンデミックが起こらず、予定通り2020年初夏にライブが開催されていたとしたら、小沢健二さんは筒美京平さんを会場にご招待していたのかも知れませんね...。

羽田空港                                    



(真ん中の〇が羽田空港)

「羽田空港」は「羽田沖 街の灯がゆれる」という印象的な歌詞で始まる『流動体について』を語るには欠かせない場所です。

1997年『ある光』で「JFK(空港)を追い」渡米された(渡米前の最後のシングルCDとなった『春にして君を想う』の最後の曲が『ある光』だったのはそういうことなのでしょう)小沢さんが19年ぶりのシングル『流動体について』で「羽田沖」から帰ってくるというドラマチックな展開は、我々ファンを歓喜させるとともに胸が熱くなりましたよね。

羽田空港からパークハイアット東京の間にある                         

「羽田空港」から次の「パークハイアット東京」へと延びるラインの途中には、羽田と新宿の地図の間の空白の場所にがあるのですが、地図上ではないためこれがどこかは特定ができませんでした。

デザイン上まっすぐラインを伸ばすと新宿の地図の下に書いてある文字と被るため、文字が被るのを防ぐためか?とも考えましたが...もしかしたら何か意味があるのかも知れません。

パークハイアット東京                              



(真ん中の〇がパークハイアット東京。南のY字型の水色の線は童謡『春の小川』のモデルとなった河骨川(こうほねがわ)で、渋谷川の支流の宇田川に注ぐ。宇田川は渋谷駅の辺りで新宿御苑から原宿のキャットストリートの下を流れる隠田川と合流し渋谷川となる)

「パークハイアット東京」は「空へ高く照らし出された高層ビルのすぐ下」の歌詞の場所で、『強い気持ち・強い愛』制作時に泊まっていたホテルです。


2017年、『流動体について』が発売された直後の2017年4月20日、フジテレビ『Love music』「ライナーノーツ」でパークハイアット東京の1室でロケをしていた際、ご本人が語っていました。


その時の書き起こしをしていた方がいらっしゃったので、以下にリンクを置いておきます。

2017年4月24日「Love music」小沢健二特集 文字起こし - ozawa100's diary

大阪限定の展示やグッズについて

大阪限定のグッズがある、ということは、かねてからご本人により語られていましたが、大阪公演の直前に「大阪公演では大阪限定の展示がある」ということが小沢健二さんご本人により伝えられました。

私は残念ながら都合が合わず、大阪公演に行くことは出来なかったのですが、友人にお願いをして展示を写真に収めて貰いました。
ありがとう友よ、いてくれて。

大阪の地図と旧淀川・東横堀川・道頓堀川水系の地図


大阪限定展示の写真。複数の写真を繋げたもの。
(2022.6.16. 大阪フェスティバルホールでの物販展示より)

展示の内容は、右側の地図が会場の中之島周辺の水系の空撮写真、左側の地図はその空撮写真の中の川などをトレースしデザイン化したもので、その真ん中にエッセイが添えられていました。

なお、左側の地図は『飛ばせ湾岸神戸』で初めて公開された関西限定グッズ『「LIFEの屋上」リンガーT青』に添えられていたものと同じものでした。


エッセイの内容は以下の通りです。

 大阪をニューヨークのようだと感じる理由の一つは、御堂筋が一方通行で中心を行っていることかも。NYの5th Avenue(五番街)のように。
 そして、碁盤目の区画。東京は東の江戸時代からの街並みは碁盤のように縦横でも、西のほう(港区、渋谷のほう)は道がぐにゃぐにゃで、ケモノ道をもとにしたような雰囲気がある。それが東京のあの、少し陰のある感じ(そこが魅力なのですが)を作っている気がします。「暗闇坂」「狸穴坂」など、特に港区は坂だらけ。

(小沢健二『So kakkoii 宇宙 Shows』大阪フェスティバルホール限定展示より)

「大阪をニューヨークのようだと感じる」という話は、以前2016年に発売された雑誌『POPEYE 2016年10月号 No.834』の中で高城晶平(cero)さんと小沢健二さんの対談があり、そこで小沢健二さんがニューヨークは東京よりも大阪に似ているということを少し話していました。
その時は具体的にどこがそう感じるとは言っていなかったのですが、ここにきてその理由が明らかになりました。

東京の碁盤の目の区画について                            


徳川家康が江戸に入府した直後、今の京橋、銀座辺りは「江戸前島」と呼ばれる半島状の地形で、現在の日比谷あたりは日比谷入江と呼ばれ、現在の皇居辺りまで海が入り込んでいました。


『港区/デジタル版 港区のあゆみ 港区史 通史編 近世(上)』「第一章 都市開発と災害 第二節 考古学で見る町づくり 第一項 低地と海浜部の造成 日比谷入江の姿」(ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム)

江戸時代に入り、徳川家康は江戸湊の整備に乗り出します。
神田山(現在の駿河台)を切り崩し、その土を日比谷入江に埋めて埋立地を作ったとされています。

東京港の歴史(歴史紙芝居)|国土交通省関東地方整備局 東京港湾事務所

埋立地は碁盤目状に道路や物流を兼ねた水路を張り巡らし街を配置しました。
その名残が今も東京の碁盤の目状の区画となって残っています。

道頓堀川について                                  


道頓堀川は1615年に完成した、東横堀川と木津川とを結ぶ約2.7kmに及ぶ堀川です。
1612年(慶長17年)に豊臣家から新川奉行を成安道頓により起工されましたが、道頓は大坂夏の陣で戦死したため、徒弟がそれを引き継ぎ完成させたそうです。
当時は道頓堀川は新川と呼ばれていたそうですが、当時大阪城主だった松平忠明が道頓の死を悼み、道頓堀と命名したそうです。

(参考:角川日本地名大辞典編纂委員会 2009『角川日本地名大辞典 27 大阪府』)


道頓堀川が当初新川と呼ばれていたエピソード、今回のライブで小沢さんが東京は古川を、大阪は新川を取り上げたということになり、とても興味深いですね。


道頓堀川周辺のミナミを含む大阪一帯は縄文時代には海でした。
1万年前に氷河期(最終氷期)が終わり温暖化が進んでいき、海水面が現在よりも高くなってしまったのが原因です(縄文海進)。
海水面は約6,500-約6,000年前をピークに下がっていき、ミナミ周辺も徐々に陸地化していきますが、江戸時代頃までは一帯はまだ広大な湿地帯でした。

古代大阪の変遷|水都大阪

その湿地帯を道頓堀川を掘った時に出た土砂により埋め立て、土地を作っていったのが現在のミナミのはじまりです。

道頓堀川周辺は開削とともに歌舞伎などの芝居小屋が集まる街として栄え、明治中頃までは観劇には屋形船や茶船を利用していたとのことです。

2020年秋から2021年春まで放送されていたNHKの朝の連続テレビ小説『おちょやん』では、主人公の竹井千代が道頓堀の芝居茶屋「岡安」に奉公に出され奮闘する姿が描かれていましたが、大正時代の道頓堀の賑わう様子が劇中で描かれていましたね。

※この辺りのことは2019年5月18日放送のNHK『ブラタモリ』「大阪・ミナミ編」でも取り上げられていました。


そんな道頓堀川も、高度経済成長期には寝屋川からの工場排水や下水が川に流れこみ、ゴミやヘドロがいっぱいの汚れた川だったそうです。
そうした水質を浄化しようと様々な施策が取られた結果、今では川に魚が泳ぎ、水質も鮎が棲める水準にまで改善されたそうです。
水質の綺麗な淀川から繋がる大川の水を、水門を使って東横堀川から道頓堀川に引くようにしたことが大きかったそうです。
東横堀川は水質の良い淀川に繋がる大川と水質がやや劣る寝屋川が合流した先にあり、寝屋川からの工業用水や生活用水が道頓堀川まで注いでいたことが汚れた川となった原因の一つだったそうです。
何十年もの水質調査の結果、潮の満ち引きで大川の綺麗な水が最も東横堀川の近くを流れるタイミングをつきとめ、毎月水の入れ替えを行っているのだそうです。
また、寝屋川の水質を改善する取り組みも行われているようです。


道頓堀川の水辺整備

※実は水質改善や人びとに水辺に親しんでもらおうという動きについては、渋谷川・古川でも様々な取り組みがなされている、もしくは計画が立てられているのですが...もし余力があれば記載します。


そう言えば、地図を見ていて気付いたんですが、東京の古川と同じように、東横堀川の上にも高速道路の高架(阪神高速一号環状線)が走っているんですね。

小沢健二さんのこうした都市を俯瞰で見るというか、比較して考えるところが凄く好きなんですよね。比較文化的なモノの見方というか。
文化人類学的な、クロード・レヴィ=ストロース(『野性の思考』の著者。今公開されている、小沢健二さんにも縁のある庵野秀明さんの映画『シン・ウルトラマン』(2022)にもこの本が出てきました)にも通じる視点。
ある視点に立って異なる文化を見た時に見えるものがあるんですよね。


それ以外に展示ポスターに記載があった文字について以下にまとめました。

右の地図に記載してあったもの                            


ピンクのリボンの文字

「1928年から2013年までの大阪の空撮が混ざっています。」

右側の地図は1928年から2013年までの大阪の空撮が混ざっているようです。

左の地図に記載してあったもの                            


ピンクのリボンの文字「梅田」「中之島」「大坂城」「心斎橋」

青い文字「旧淀川」「東横堀川」「道頓堀川」

青いリボンの文字「この水系の歌も書きたいです…」

なんと「この水系の歌も書きたいです…」との記載が!
小沢さんは大阪にも友人が多くゆかりがあると話されていたし、最近出演した大阪のラジオ番組のインタビューで最近大阪の街並みをよく歩いていると話されていましたね。
是非実現して欲しいですね!
そしてどんな内容になるのか、とても楽しみですね。

の位置                                      



(真ん中の○がフェスティバルホール。南北に走る青線が東横堀川。東西に走る青線が道頓堀川。南北に走る赤線は御堂筋。フェスティバルホールを真ん中にして神戸国際会館と名古屋国際会議場とをラインで結んでみた)

の位置は今回のツアーの大阪公演の会場の「フェスティバルホール」がある場所です。

フェスティバルホールからは東西に延びた線があります。
どこかに繋がっているようですが、途中で見切れているのでどこに繋がっているのかはよく分かりません。
公演会場の神戸から延びて、名古屋へと向かっているのでしょうか。

『彗星』の歌詞の「1995年 冬は長くって寒くて心凍えそうだったよね だけど少年少女は生まれ作曲して 録音したりしてる僕の部屋にも届く」の箇所は、兵庫県西宮市出身で1995年生まれのアーティスト、あいみょんさんにちなんだ箇所だと、以前2020年10月4日放送の『Lovemusic』の対談等で話されていたこと、「儚い永遠をゆく」があいみょんさんが小沢さんに言った言葉だったという話、また阪神淡路大震災を想起させることからも、西側は『飛ばせ湾岸神戸』の会場にもなった神戸に繋がっているのかも知れません。



これらの展示が今回ある理由について、自分が行った横浜公演や飛ばせ湾岸神戸の内容から類推すると、古川に関するモノローグで「道頓堀川」の話が出てきたからだと思うのですが、肝心の大阪公演を聴いていないため、大阪ならではの朗読があったのかどうか定かではありません。

ちなみに大阪限定グッズのリンガーTの青については、大阪ならではのデザインだということを小沢さんが言われていましたが、青=「水の都」といったイメージなのでしょうか。

これは意図的ではないかもしれませんが、東京の古川が全く有名ではなく、かつて東京の東側は堀が沢山張り巡らされ、大坂/大阪と同じく「水の都」と言われていた東京が、現在そのイメージが無くなってしまった、ということが強調されているような感じもあります。


その他の床面展示について

以下、その他の床面展示について記載します。

「今からでも!ツアー公式・アドベントカレンダー」

ツアーを待つ、アドベントカレンダーのデザインのポスター
(2022.6.3. パシフィコ横浜での物販展示より)

この展示ポスターは、本ツアーに先立ってローソンHMVで販売された「ツアーを待つ、アドベントカレンダー」のデザインに、蛍光色のテープが貼られたものです。

左側の公演会場の座席図は、各公演日には該当会場が蛍光色テープで囲われ、また公演が済んだ会場は蛍光色テープで斜線が引かれていました。

また、右側の日付の書かれたカレンダーの方は、ツアー前日までの日に緑の蛍光色のテープで斜線が引かれていました。

同じポスターでも、DIY感溢れる蛍光色テープでその日ならではの特別感を表現する辺りがさすがですよね。

なお、アドベントカレンダーは「今からでも!ツアー公式・アドベントカレンダー」として会場でも販売されていました。

 ツアーグッズに関するエッセイ付きのポスター

ツアーグッズに関するエッセイ付きのポスターの写真
(2022.6.3. パシフィコ横浜での物販展示より)

これはツアーグッズに関するエッセイ付きのポスターです。

左には「1993年のオザケン」という、小沢健二さんのファーストアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』のジャケット裏のご本人が座ってギターを弾いている写真をシルエット化したカラフルな図が9つ描かれています。

小沢健二『犬は吠えるがキャラバンは進む』初発盤のジャケット裏。ブログ主私物。

また、右にはグッズのデザインについてのエッセイが書かれています。
以下にそのエッセイについて記載します。

 最近の英語の俗語で「キャップ」は、「嘘」という意味。「ノー・キャップ」と言えば「嘘じゃないよ」という意味だし、「ザッツ・ア・キャップ!」と言えば、「それって嘘だ(誇張してる、盛ってる)!という意味。
 ここ数年よく聞く、「キャップ」。語源は厳密には「上限(キャップ)を設ける」の意味のキャップだそうだが、普通のアメリカ人が「キャップ=嘘」で連想するのは、「野球帽を目深にかぶった(少々怪しい)人」だと思う。
 僕も最初シェイディー(俗語で「怪しい」。シェイド=陰)という俗語を連想した。野球帽のひさしの陰から、嘘をつく感じ。

 今回、キャップのデザインをしながら、そういえば90年代の終わり、僕はキャップをよく被っていたなぁと思った。
 もしかしたら、隠し事をしたり、どこかで嘘をついている人は(僕はまぁその、大変な時期ではあった)、無意識にでも、キャップを被るのだろうか?

 でも、Boseくんとかはキャップ常用だが、嘘や隠しごとの気配はないな…。ともあれ、蛍光糸で1993年のオザケンを刺繍、というデザインです。今年はこのコットン・キャップを、がしがし被ろうと思います。

 ポロシャツは今、自分が着たいのです。ボタンを一番上まで留めて、図書館とか行きたい。バケットハットは夏だし、海や山で息したい。バッグは白、茶色、ネイビー。僕がどの色を最初にデザインしたか、わかりますか? (正解は文末)

 Tシャツもバッグも、歌詞のプリントは闇で光ります(白地に白の印刷のやつも)。うさぎTはキッズ用に作ったので、「愛すべき生まれて育ってくサークル」がおしりで光ります。大人用も限定職で、あります。
 ポロシャツとボーダーのバックプリントも蓄光。さっそく着て、携帯電話のライトを数分当てておくと、もうすぐ始まるライブ中、光るはず。
 刺繍は、ファーストアルバムの裏ジャケットの写真です。刺繍になるとは、25歳のオザケンも思っていなかっただろう。
 ハンガーは非売品です!持っていかないで!

最初にデザインしたのは、秋っぽい茶色。そのあと、夏っぽい白を思いついた。ネイビーも、良いネイビーと思ってます。

(小沢健二さんによる『So kakkoii 宇宙 Shows』ツアーグッズのデザインに関するエッセイより)


今回のツアーでは、『LIFE』の曲に加えて『犬は吠えるがキャラバンは進む』からも何曲か演奏されました。『天使たちのシーン』『ローラースケートパーク』そして『天気読み』。

『天気読み』は初日横浜公演では演奏されていませんでしたが、少なくとも『飛ばせ湾岸神戸』では演奏していました。

ツアー前年の2021年12月に新曲と併せてこのファーストアルバムが発売されたこと、また今年(2022年)1月にTwitter上で公開された、新曲と『犬キャラ』とのことについて書かれた以下のエッセイを読むと、今回のツアーグッズにこのデザインが含まれ、また「夜明け前の弱すぎる光を祝う」『犬キャラ』の曲たちを今歌うのは、物凄く特別な意味があると思わざるを得ません。

ライブ中に朗読された古川のところで語られた「過去の中には未来が含まれる」という内容も、これらのポスターやライブの構成、グッズの内容に反映されているような気がします。

魔法的電子回路「4、Sk宇」とスクラッチカードについてのポスター

魔法的電子回路「4、Sk宇」とスクラッチカードについてのポスター
(2022.6.3. パシフィコ横浜での物販展示より)

魔法的電子回路「4、Sk宇」とグッズに付けられているタグ「スクラッチカード」のデザインとその説明が書かれたポスターです。

左にはスクラッチカードのデザインと説明が、真ん中には魔法的電子回路「4、Sk宇」の入った袋に貼ってあるラベルの地図デザインが、右にはピンクとグリーンの電子回路のボディのデザインがあります。


ポスターに書かれた文字について(左から)                      


スクラッチカード(削ると文字が出てくる)
文章は12種類あります

電子回路の印刷面をなるべく光に当てて開演をお待ちください。

    空へ高層 新宿        羽田             港区

2007 1984 1981      1945 1974     1974 1945

(電源は切って開演をお待ちください)魔法的電子回路

↑LIGHTS ON
|ツケル

真ん中の地図デザインについては以前ブログに書きましたが、「『流動体について』『強い気持ち・強い愛』歌詞地図」を白抜きで表したものですね。

小沢健二『So kakkoii 宇宙 Shows』電子回路のシールの地図と星座の場所について(追記あり)

ライブ中は魔法的電子回路を付けたり消したりする指示がありましたが、中でも特に印象的だったのは最初の『流動体について』での「LIGHTS ON つけろ」と途中の『強い気持ち・強い愛』で最高に盛り上がっているところでの「LIGHTS ON つけろ」でした。

それを敢えて魔法的電子回路のデザインに取り入れたということ、どちらも「LIGHTS ON」をする曲だということから、この2曲がライブの構成の中でも特に鍵となる曲たちだったからなのかも知れませんね。


と、ここまで書いてみて思ったのは、やはりこれらの床面展示やグッズのデザインとライブの構成がどう関わっているかについても触れる必要があるのかな、ということ。

本記事のところどころで少し触れてはいるのですが、後日追記もしくは別の記事として記載したいと思います。

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