小沢健二『キツネを追ってゆくんだよ』りーりーキツネが訪れたロケ地について

2020年12月18日金曜日

この記事は、11月にZAIKOで配信され、2021年3月にDVDとして発売された小沢健二『キツネを追ってゆくんだよ』において、朗読の合間に挟まれるキツネのお面を被ったりーりーが訪れたロケ地についての話です。

はじめに

2020年11月24日22時より小沢健二さんの朗読劇『キツネを追ってゆくんだよ』が有料生配信されました。

小沢健二が手紙を読み上げる生配信企画決定、書き下ろしテーマソングや幻のツアー映像も公開(コメントあり)


この番組は「視る書籍」というコンセプトのもと、立体的かつ豪華なステージセットの中で、小沢が書き下ろしの“手紙”を次々読み上げるという内容。リアルタイムの朗読の合間にはさまざまな映像も挿入され、今春開催予定だったライブツアー「So kakkoii 宇宙 Shows」の制作中の様子を撮影した映像も一部配信される。ツアーは2021年への延期が決定しているが、番組で配信されるのはそれに伴い未使用となった部分とのこと。さらに番組ではテーマソング「キツネを追ってゆくんだよ」(口笛&ビートバージョン)が初公開される。昨年11月にアルバム「So kakkoii 宇宙」が発表されて以来、約1年ぶりとなる新曲は口笛の旋律が美しいインストゥルメンタルナンバーに仕上がっているという。

番組の制作には小沢作品のビジュアルの中核をなすスタッフたちが参加するが、番組の中心となるキツネの仮面の制作はケンドリック・ラマー、エイサップ・ロッキーらアーティストの仮面制作を手がけるニューヨーク在住の現代美術家・Shin Murayamaが担当。また配信の開始時間に合わせ、番組内のスタイリングはパジャマがテーマとなる。視聴者も余裕があればパジャマに着替えて配信を観てみよう。 


事前に指定されたドレスコードはパジャマ。
平日の夜、眠りにつく前に小沢健二さんが幾つかの「手紙」をZAIKOの生配信でお送りする番組でした。

小沢健二さんやBoseさん、そして我々視聴者もパジャマ姿に着替え、小沢健二さん初の生配信番組を楽しみました。

当日は機材トラブルがあり、当初の予定を大幅に過ぎて2時間半ほどの配信となってしまったのですが、調整中の時間に「手紙」の内容に関する小沢さんとBoseさんの様々なお話を聞けたので、それらを含め大満足の時間でした。
(ただ、小沢さんやスタッフの皆さんは大変だったと思いますが...お疲れ様です。)

セットも手作り感の溢れる可愛らしいもので、寝る前にとてもほっこりしました。

個人的にも手紙の中に大好きなドラえもんが出てきたことがとても嬉しかったです。


なお、配信前には配信を記念してTシャツ「Ozawa Kenji Haiku T Series」が発売されました。
11月21日(土)11:00からはボディがアッシュ(灰色)のものを、ライブ配信当日の11月24日(火)18:00からはボディが白色のものが販売されました。
サイズはS,M,L,XLで、「Haiku」の文字は1回目、2回目ともにピンク、オレンジ、青の3色がありました。

Ozawa Kenji Haiku T Series Lot 1“NUTS”Ash
 “NUTS” 緑 / 5-7-5 ピンク
 “NUTS” 青 / 5-7-5 オレンジ
 “NUTS” ボルドー / 5-7-5 青

【受付終了】小沢健二 11/24開催のライブ配信「キツネを追ってゆくんだよ」記念、ポケット付きTシャツを発売|グッズ

Ozawa Kenji Haiku T Series Lot 2“NUTS” White
 “NUTS” 緑 / 5-7-5 ピンク
 “NUTS” 青 / 5-7-5 オレンジ
 “NUTS” ボルドー / 5-7-5 青

【受付終了】小沢健二 記念Tシャツの白バージョンを発売!11/24開催のライブ配信「キツネを追ってゆくんだよ」|グッズ


なお、この配信は1時間半ほどに編集され、2021年3月31日にDVDとして発売されました。

もしまだ未視聴でしたら現在購入可能ですので、是非DVDをご覧になって下さい。

なお、DVDのパッケージは、劇中でも小沢さんが読んでいた「キツネノート」のデザインとなっており、実際に配信で読んだ「手紙」の文章が書かれています。
物凄く凝っている作りなので、パッケージも是非手にとって見てみて下さい。


『キツネを追ってゆくんだよ』は小沢健二さんの公式YouTubeチャンネルに幾つかお試し動画がアップされています。

小沢健二『キツネを追ってゆくんだよ』お試しサイズ(4分25秒)

小沢健二『キツネを追ってゆくんだよ』お試しサイズ2(3分33秒)

「手紙」と称した朗読の合間には様々な映像が挿入されていたのですが、その中で多くの部分を割いていたのが、小沢健二さんのご長男りーりーがキツネの仮面を被って東京の街の中を歩き回るシーンでした。


このりーりーキツネが凄くかわいい!
そしてShin Murayamaさん製作のキツネの仮面も素晴らしいんですよね...!



りーりーキツネのシーンの場所(キャプションまとめ)

小沢さんが読む「手紙」の合間には次のような動画が挟まれていました。

🦊DVD編集版🦊


🦊0 オープニング りーりキツネ映像 三田小山町

✉ 拝啓 友人たちへ

🦊1 りーりキツネ映像 三田小山町&港南大橋の上

✉ 拝啓 友人さま、続きです。

🦊2 りーりーキツネ映像 荒木町

✉ 拝啓 考えるのが好きな君よ

✉ 拝啓 言葉にお悩みの君

✉ 拝啓 文脈について知りたい君よ

✉ 拝啓 繊細な君よ

🦊3 りーりーキツネ映像 原宿・キャットストリート

✉ 拝啓 言葉について考えている君よ

✉ 拝啓 コンサートに行きたい君

✉ 拝啓 未来を考えている君よ

🦊4 りーりーキツネ映像 港南大橋の下&浅草

✉ 拝啓 食いしん坊の君

✉ 再び食いしん坊の君に

🦊 キツネローグ「拝啓 再び食いしん坊の君に」中の動画(回転寿司を食べるシーン)

✉ 拝啓 COOLって何だろうと思う君

🦊5 りーりーキツネ映像 池のある森(場所不明)

✉ 拝啓 友人達様



なお、DVDには「Xトラ」として、本編には含まれていない、生配信時に使用されたりーりーキツネのシーンやモノローグ、会話などの別テイクの動画も収録されています。
りーりーキツネのシーンは生配信でも使用されていないシーンも含まれています。
そちらについてもまとめてみました。

🦊Xトラ🦊


Xトラ🦊1

Xトラローグ1(編集をしない、手紙のようなもの)

Xトラ🦊2

Xトラローグ2(社会に貢献してないことってない)

Xトラ🦊3

Xトラローグ3(慣れていく)

Xトラローグ4(自分の文脈で入っちゃう)

Xトラ🦊4

Xトラローグ5(ちょっと、音楽の話)

Xトラ🦊5

Xトラローグ6(パジャマをスーツのように)

Xトラ🦊6

Xトラローグ7(Boseさん「肉食だから、ああなんだ!」と”I didn't know that!”)

Xトラ🦊7

Xトラローグ8(疎外感という空間)

Xトラ🦊8

Xトラローグ9(言葉って)


これらの場所について場所を特定し、どういう場所か実際に現地に行って確かめてみました(随時更新予定)。

りーりーキツネのシーンの場所

🦊0 オープニング りーりキツネ映像 三田小山町

三田小山町について                                 



オープニングの場所は東京都港区三田一丁目10番地、11番地の辺りです。

三田一丁目の全範囲はかつて「三田小山町」と呼ばれていました。

三田小山町は関東大震災でも建物の倒壊がほぼなく、また太平洋戦争中の東京大空襲も免れた、古い街並みが残る貴重な土地でした。
この辺りは慶応大学三田キャンパスの裏に当たり、古くから学生宿として栄えていた土地でした。

1990年代まで近くには駅もなく、長い間土地開発とは無縁の土地でしたが、2000年に地下鉄「麻布十番駅」が開業するに伴い再開発計画が浮上します。

三田一丁目の再開発計画は3区画に分かれ、東の区域から順番に高層ビルへと変わっていきました。

現在古い街並みが残っているのが「三田小山町西地区」と呼ばれるところで、この住宅街の路地でりーりーキツネがロケをしています。

なお、三田小山町は小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のシングルジャケット写真が撮影された場所でもあります。

その場所も、もうすぐ再開発により高層マンションへと変わっていってしまいます。

詳しくは別の記事にまとめましたのでそちらをご覧ください。

東京と、音楽と、私たちと。小沢健二『アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)』のジャケット写真の場所について。


🦊1 りーりキツネ映像 三田小山町&港南大橋の上

三田小山町                                     


次も三田小山町です。

りーりーキツネはキックボードに乗り、再開発により2010年に竣工した高層マンション「パークコート麻布十番」の西側の道路を「東京さぬき倶楽部(閉館)」に向かって走っています。

ちなみにキックボードで走り始めるところの道の左側(パークコート麻布十番側)には、「銀杏稲荷大明神(白滝稲荷神社)」という小さな神社が鎮座しており、神の使いとしての狛狐がいます。


銀杏稲荷大明神にはかつて権太夫大神と白瀧大神(女神)の対の二本の銀杏の御神木が存在していましたが、うち1本は戦前に東京市が都電を開通する際の道路拡張工事で伐採してしまったそうです。
その後工事関係者や近隣住民に不幸が起こったため、伐採をしたことによる祟りではないかと考えた地域の人々が銀杏講を作り、京都の伏見稲荷より権田夫大神を迎え同神社を建てたことでようやく災いが治まったそうです。


残るもう1本はこの地が再開発された2010年頃に伐採されたそうです。

2010年に銀杏の木が伐採された時のことをブログで記載されている方がいましたので以下にリンクを貼っておきます。

三田小山町の大銀杏、伐採さる - ごっさん居眠り中

再開発まっただなかの、 港区三田一丁目(旧町名・三田小山町) 道沿いに立つ、古木の銀杏。 足下には、小さいながらも祠が。 その名を「銀杏(ぎんなん)稲荷大明神」と申すそうです。 (正式には「白滝稲荷神社」) たまたま、会社の昼休み、カメラの試写でフラフラ歩いていた時、 この古木を見つけ、足を止めました。 街路樹の銀杏と違い、太くてどっしりとした幹が大地を捉えていました。 この木が、この場所で長年根を張っていた証しを言えましょう。 再開発で高層マンションが建ち並び、 すっかり埋もれて見えなくなってしまいそうなこの大銀杏。 先日、 伐採されてしまいました。 あそこまで育つのに、果たして、何十年、何百年の年月がかかったのでしょうか。



★街の守護神だった銀杏の巨木を枯らしたのは再開発? - 麻布十番未知案内 BLOG編

一時近くの元神明神社境内に祀られていましたが、2010年6月に現在地に遷座されました。
現在は新しく建立された社の脇に伐採された御神木の苗木が2本植えられています。


この狛狐がりーりーキツネになったということなのでしょうか?


港南大橋(東京都港区)                               


その後舞台は別の場所に移ります。
りーりーキツネは東京湾の運河に架かる「港南大橋」の歩道をキックボードで走ります。
橋を渡った後、橋の下に降りて「港清掃工場」脇の京浜運河沿いの道を北へと向かいます。
向かう先にはレインボーブリッジのループが見えます。
また、品川埠頭と呼ばれるこの埋立地には「東京出入国在留管理局」があります。

しかし、なぜりーりーキツネはこのような場所に現れたのでしょうね...?
港南大橋は運河に架かる橋で、スロープがあるにせよキックボードで橋を上り下りするのは結構大変そうです。

実は、この港南大橋は2018年に「東京出入国在留管理局」に関連する落書きがされていた場所でした。


「難民を自由に」と書かれたこの落書きは「出入国管理及び難民認定法」、いわゆる入管法の問題に講義さたものと思われますが、それを警察ではなく東京出入国在留管理局のアカウントがツイートしたところ炎上してしまいました。

日本が難民を受け入れることに消極的で、難民申請を行っている人びとを収容し、収容者に非人道的な扱いをしていながら、自身に対する批判の落書きを酷いと言っていたことが非難されたようです。

この炎上については当時記事になっていました。

【難民鎖国】東京入管が炎上ツイートを「削除しない」と開き直るので、国連からの勧告を列挙しますよ!(志葉玲) - 個人 - Yahoo!ニュース

この落書きはその後削除されたようで、りーりーキツネが港南大橋を通った際、恐らく2020年の秋でしょうか、その頃にはそうした落書きはありませんでした。


🦊2 りーりーキツネ映像 荒木町

荒木町(東京都新宿区)                               


りーりーキツネは坂の多い街へと舞台を変え、ビデオを回したり、散策を始めます。
ここは新宿区荒木町。

この街は坂の多いすり鉢状の窪地にある街で、住宅地を含む繁華街となっています。

江戸時代の天和3(1683)年以降、尾張藩の支藩、美濃高須藩松平家上屋敷(松平摂津守上屋敷)の敷地内でした。
その敷地の真ん中には「策の池」という大きな池があったことから景勝地として知られていました。

明治時代に庭園は払い下げられましたが、滝もあったことから明治初期には茶屋ができ、景勝地として人気の観光地だったそうです。
しかし池自体は明治の終わり頃にはその規模が小さくなってしまったようです。
現在「策の池」は窪地の底にある「津の守弁財天」のほとりにひっそりと存在しています。
(なお、津の守弁財天の「津の守」は松平摂津守を指すそうです。)

池の周辺の荒木町の街は料亭が軒を連ね数百人の芸者のいる花街として栄えていきました。

今は芸者街はないものの、荒木町は現在でもその花街の雰囲気を色濃く残していて、今でも沢山の飲食店が路地にひしめいています。


りーりーが回っていたルートを以下に記します。

仲坂→「料亭千葉」坂の下→「料亭千葉」→仲坂を上る→車力門通り「ドリフト」前→荒木公園(公園の隅に金丸稲荷神社がある)→○○坂を下る→「百舌の蔵」の坂に座る→津の守弁財天から坂を上がる→仲坂


りーりーがビデオカメラで撮影をしていた階段の途中には、かつての花街の姿を留めていると言われる「料亭千葉」の古びた建物があります。

しかし、ここ数年で荒木町の料亭の雰囲気を残す建物は殆ど姿を消してしまいました。
私が知るだけでもこの数年で津の守弁財天の脇の料亭と窪地の南の坂上の「赤坂 光楽亭」のあった建物がなくなってしまいました。


[津の守弁財天の脇の料亭と窪地の南の坂上の「赤坂 光楽亭」のあった建物]

そうした状況はあるものの、荒木町が現在でも飲食街の多い繁華街として栄えています。
その要因のひとつとしては、かつて荒木町のすぐ北の河田町に1997年までフジテレビの本社ビルがあったことも大きいのかも知れません。

[曙橋駅付近にあるフジテレビの痕跡]

ひょっとしたら荒木町は、90年代当時「HEY!HEY!HEY!」など、フジテレビの音楽番組によく出ていた小沢健二さんのゆかりのある土地だったのかも知れません。

[江戸時代の切絵図]


なお、この荒木町のすり鉢状の土地ですが、江戸時代に一帯が松平摂津守家上屋敷の庭園だった頃に、湧水が湧く窪地を堰き止めて大きな池としていたことが発掘調査により分かっています。

[荒木町の堤防跡の階段の写真]

この水を堰き止めていた堤防があった場所が、荒木町の映像の最後にりーりーが階段の上でアップで映っていた場所です。
現地に行くとここだけ東西にまっすぐ盛り上がっていて、南北がすぐに落ち込んでいる地形になっていることが分かります。

[堤防跡の北側の様子]

堤防跡の北側には、ちょうど現在の靖国通りに沿って東西に流れる「紅葉川」という江戸城の外濠(現在の市ヶ谷駅辺り)へと流れる川があったそうで、荒木町のすり鉢状の地形はそこに注ぐ小川がつくりあげた枝谷のひとつだったようです。

紅葉川は現在は暗渠となっていますが、靖国通り沿い、特に紅葉川が靖国通りと合流し市ヶ谷へと向かう辺りには、大谷石や細かい石で築かれた古い石垣があるなど、この辺りがかつては川筋で谷になっていたことを示す証拠が残っています。

[靖国通りの大谷石の石垣]


ちなみに、余談ですがドラマ『相棒』の小料理屋「こてまり」があるのはこの界隈です。
ドラマ内でこてまりに入る前の路地のシーンで荒木町の通りのひとつ、車力門通りの名前を見掛けました。

近年は周囲はマンションやオフィスビルが建ってきていますが、それでも昔ながらの建物や路地裏などの古き良き街の雰囲気を残しています。

これは荒木町の「とんかつ鈴新」のご主人をはじめとする「荒木町商店会」の皆さんによる「新・荒木町を発見する会」と東京のすり鉢地形にある街並みの素晴らしさを世に広めている「東京スリバチ学会」の皆さんのご尽力があってのことだそうです。


東京にはこうした湧水から始まる小川の流れが作り出したすり鉢状の地形が多いのですが、『小沢健二飯倉片町藪蕎麦前』のロケ地のすぐ北側の麻布台も同じような地形になっていて、すり鉢状の地形に建物がひしめき合っている場所でした。


麻布台は現在「虎ノ門・麻布台第一種再開発事業」で街全体がなくなり、高級レジデンスが入る超高層ビルが立ち並ぶ場所へと変わりつつあります。

虎ノ門・麻布台プロジェクト|主要プロジェクト|森ビル株式会社

そう言えば、三田小山町もすり鉢状ではないにせよ、古川の浸食が作り出した高低差のある立地にあり、街としてはよく似ていると言えるのかも知れません。

おなじような高低差のある場所に出来た街でも、その未来の姿は大きく違っているようです。

🦊3 りーりーキツネ映像 原宿・キャットストリート

原宿・キャットストリート                              




キャットストリートは古川水系の上流部、隠田川が暗渠になって出来た通りです。
キャットストリート周辺は、現在は高級ブティックやファッションや飲食店などお洒落な店が立ち並ぶ裏原と呼ばれる地域ですが、最近までこの辺りはそこまで栄えていませんでした。
キャットストリートの正式名称は「隠田商店街」であり、かつてこの辺りは隠田村という村があり、川が流れ田園風景が広がっていた場所だったのです。

GHQにより表参道にアメリカ軍を対象にした米国風のお店やお土産屋さんが増え、一気に発展していったのです。

追記:オリエンタルバザー

そのお土産屋さんのひとつがオリエンタルバザーという店で、2021年5月に小沢健二さんがライブ配信『マイクロ魔法的 完結編』で『泣いちゃう』と『カキツバタ』を歌ったのがこの店の前でした。


この翌月、オリエンタルバザーは建物の改修のため閉店しました。

🦊4 りーりーキツネ映像 港南大橋の下&浅草

港南大橋の下                                    




浅草                                        


言問橋をスカイツリーに向かうように爆走するりーりーキツネ


りーりーキツネはその先にスカイツリーの見える橋をキックボードで爆走します。

この橋は浅草と向島を結ぶ隅田川に掛かる言問橋(ことといばし)です。
橋の下流の歩道を台東区側から墨田区側へと走っています。

言問橋の架かる墨田川の両岸には隅田公園があります。
隅田公園は隅田川の台東区側と墨田区側の両岸に存在しますが、関東大震災後に整備された震災復興公園のひとつとしてできたものです。

この辺りは1945年3月9日深夜(3月10日未明)の東京大空襲で多くの死者が出ました。
言問橋の辺りは焼夷弾による炎から逃れた人びとが隅田川の両岸からごった返したため、言問橋で多くの人びとが立ち往生し、やがて橋全体が火災旋風による炎に包まれ、多数の犠牲者を出した場所となってしまいました。

言問橋の台東区側のすぐそばには東京大空襲で亡くなった方々のための慰霊の碑が築かれています。



なお、言問橋を渡ってすぐ右手にある牛嶋神社境内には狛狐のいる小梅稲荷神社があります。

墨堤通りを爆走するりーりーキツネ                          


りーりーキツネは言問橋を渡った後、牛嶋神社のある墨田区側の隅田公園と、隅田川に平行に走る首都高速6号向島線の真下を並走する道路、通称「墨堤通り」をキックボードで走ります。「墨堤」とは、かつての荒川、現在の隅田川の氾濫から町を守るために作られた堤防で、言問橋付近まで隅田川沿いに堤が走っていました。
徳川吉宗が護岸強化と憩いの場づくりのためにと、堤の上に桜の木をたくさん植え、春は花見、正月は七福神めぐりで多くの人がこの地を訪れた、という話は有名です。

旧墨堤の道

 隅田川の自然堤防沿いに桜の木が植えられたのは寛文年間(1661~1673)。徳川将軍家の休息所であった隅田川御殿(現堤通2丁目、都立東白鬚公園辺り)から白鬚神社の北側辺りまででした。江戸時代中期には8代将軍徳川吉宗が護岸強化と憩いの場づくりのために堤と並木の南端を言問橋の架かる辺り(現向島2丁目、言問通り)まで延ばして人々に地固めをさせました。以来、堤は多くの江戸市民でにぎわう花見の名所、憩いの場所へとなっていきました。道幅は広く、道の両側には、見事な桜の並木が続いていました。
 白鬚神社脇から地蔵堂へと続く湾曲した道は、今は姿をけしてしまった、旧墨堤の名残りです。春は花見、正月は七福神めぐりの人々で特ににぎわいました。
 関東大震災や東京大空襲などの復興事業を契機に墨堤通りは湾曲した道から直線道路へ、土の道から舗装道路へと整備されました。現在、旧墨堤の面影を見ることができるのは、この場所と「墨堤植桜之碑」(向島5丁目4番先)近くの湾曲部の2ヶ所だけとなっています。

 平成21年(2009)3月  墨田区教育委員会
この説明によるとりーりーキツネが走っていた場所は厳密には墨堤ではないのですが、この地には徳川御三家のひとつである水戸藩の下屋敷、通称「小梅御殿」がありました。

小梅御殿は向島一帯に2万坪を有する広大な御殿で、江戸時代の錦絵にも描かれるほどの見事な景観だったそうです。水戸藩徳川家は関東大震災で屋敷が全壊するまで代々この地に住んでいました。

震災後の帝都復興計画により、水戸藩下屋敷の大名庭園の池や遺構は隅田公園の日本庭園に取り込まれました。震災後に新設された公園でありながら、日本庭園のような風光明媚な景観が感じられるのは水戸藩の大名屋敷時代の名残だと言えます。

東武伊勢崎線は浅草駅から出てすぐに隅田川を渡るのですが、この隅田川を渡る橋、隅田川橋梁は昭和6年(1930年)に竣工した電車専用の橋であり、これまで人の通行ができませんでした。
それが2020年、隅田川の対岸に出来た電車高架下の商業施設「東京ミズマチ」への通り道として、隅田川橋梁の横に歩道橋を新設し、同年6月より「すみだリバーウォーク」として人が通れるようになっています。

りーりーキツネは夜にイルミネーションが灯されたこの「すみだリバーウォーク」を歩いています。

すみだリバーウォークを渡ったすぐ先の「東京ミズマチ」は戦前に出来た東武伊勢崎線の高架下を利用した商業施設となっているため、浅草からのアクセスがしやすいようにという目的もあり作られたようです。
「東京ミズマチ」に面し牛嶋神社のある

東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の始点となる松屋浅草の建物の屋上には、正一位出世稲荷大明神があります。


🦊 キツネローグ「拝啓 再び食いしん坊の君に」中の動画

海鮮三崎港(現 回転寿司みさき) 原宿竹下通り店?(回転寿司を食べるシーン)      

朗読中にりーりーキツネが回転寿司を食べるシーンがあります。





🦊5 りーりーキツネ映像 池のある森

(場所不明)                                    

池のある森から期の洞へと入っていくりーりーキツネのシーン。
この場所だけはわかりませんでした。

まとめ:小沢健二『キツネを追ってゆくんだよ』りーりーキツネロケ地図




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